収穫の秋なんですね。ありがたいことに、いろいろいただきました。
2024・10・14
収穫の秋
2024・10・11
文楽
久しぶりに文楽をみてきた。
演目は「二人三番叟」と「絵本太功記」から「夕顔棚の段・尼ヶ崎の段」。「武智光秀」(明智光秀ではなく)が主役の「絵本太平記」は場面転換があり、語りも三味線も迫力があって堪能した。さすが江戸時代の娯楽である。
先日の『日本外史を読む会』で供されたお菓子。よく見ると、かわいらしいウサギ。お菓子の世界にも秋が訪れているようで。
2024・10・9
ウサギの御菓子
2ヵ月に1度の句会へも、着物で出かけようという気持ちになる。こんなに暑い夏が続けば、着物の文化も変わっていくだろう。
2024・10・8
ようやく秋めく
猛烈に暑い夏がやっと終わり、ようやく秋めいてきた。
書庫に『日本外史』を見つけたので、下さるというのだ。
持っていない『日本外史』だったので、ありがたくいただくことに。
2024・10・7
梅庵さんから
近くの山に住む梅庵さんから、お誘いの連絡をいただく。
2024・9・28
「頼山陽味噌」の季節は?
自家製の「頼山陽味噌」はいい具合に発酵を続け、そろそろ熱い味噌汁でも作りたい、とは思うものの、まだ続く30度越えの日々。異常な暑さはいつまで続くのだろうか。
藤沢から、まず近江で一泊。三原からは呉経由で瀬戸内海沿いを走り、広島市に入ったという。よりによっての猛暑で、35度あったが、元気そうに見える。71歳。
2024・9・16
バイクの旅
わたしたち夫婦の共通の友人が遊びにきた。神奈川県藤沢市から広島市まで、バイクの旅である。
2024・9・9 96歳の母
札幌の母が96歳の誕生日を迎えた。96歳になっても自宅で暮し、自宅の風呂に入り、自炊している。足腰が衰え、視力も弱くなっているが、姉や妹夫婦の助けを借りながら「毎日忙しい」そうだ。
2024・9・8
捨てる紙、拾う神
いつもお願いしている製本屋さんから「在庫整理で紙を捨てるんだけど、要りませんか」といわれる。売れる見込みがないので、やむを得ず処分ということらしい。
え? 無料でいただけるの? と期待したが、そうではなかった。でもまあまあ安くしてもらった。捨てる紙あれば、拾う神あり。
2024・8・30
のろのろ台風
各地に被害を与えて日本列島を縦断中の台風10号。被害に遭われた皆様にはお見舞い申しあげます。
私が住んでいる広島も、昨日から雨が降り出したが、今のところ降ったりやんだりという感じ。
しかし本日はJR各線、路線バス、路面電車は運休、公立の小中学校は休校、デパートも休業を決めるなど、最大限の警戒をしている。
2024・8・19
晩夏の朝
晩夏というには暑すぎる日々。それでも早朝に歩いていると、季節が進んでいるのがわかる。
赤い葉は日焼けなのか、色づいているのか。
2024・8・15
刺繍入りの足袋
ヒマワリの刺繍が入った足袋をいただく。誕生日プレゼント。
ソックスのように伸縮性があってはきやすい。
2024・8・13
真夏の夜
真夏の夜のお誘い。氷で冷やされた飲み放題のお酒。さて、どれから飲んでみようかな。
暑いので、ごろごろ。
2024・8・12
ごろごろ
娘一家が飼っている家猫。
2024・8・10
麹づくり
真夏の大仕事。麹づくり。蒸した米に市販の乾燥麹を混ぜて発酵させるだけ。温度管理がむずかしい作業だが、最低気温が25度を下回らないので、常温に置いておけば、勝手に発酵してくれるのだ
広島に戻ると、36度~37度。最低気温は27度~28度。
姉がスイカを送ってくれる。表面が黒い「黒児玉すいか」(富良野産)だ。よく冷やし、甘みと水分を味わいつつ、涼を取る。
2024・8・8
黒いスイカ
札幌は涼しかった。日中は30度を越えても、最低気温が23度くらい。長袖がほしくなる。
小さめだが、甘みは強い。
2024・8・7 札幌へ③
札幌に帰省したもう一つの目的は、父の17回忌法要に参列するためであった。老母の意向で、少人数で行なう。父が亡くなって17年間、何をしてきたかを考える。
札幌では実家に泊まる。69歳になった娘のために、95歳の母が朝食を作ってくれる。母は今も自宅で暮し、食事はほぼ自分で作っている。
2024・8・3
札幌へ②
広島から新千歳空港に着いた正午過ぎ、機内のアナウンスで「新千歳空港、現在の気温は26度です」に乗客からどよめきが起きる。というか「うれしい悲鳴」かな。
新札幌まで、長濵好博さんが車で迎えにきてくださる。今回、札幌にきた目的の一つは、3日夕刻から、好博さん主催の「『私たちのルーツ』出版祝いの食事会」に参加するためである。それに先立ち2箇所に献本したあと、そば屋で一献。
2024・8・3
札幌へ
札幌の実家に帰省する。花や野菜が出迎えてくれる。
2024・7・31
盛夏の句会
盛夏の句会。まったく票を得られず、冷や汗をかく。
デフェンダーかわし
シュートや声の汗 典鳥
2024・7・25 46年前、手書きの社内報
A3版の手書きの社内報が出てきた。昭和53年(1978)5月20日発行。私が東京でごく短い間OLをしていた会社のものだ。
記憶では、子どもたちが保育園児、小学生だったころの「保育所たより」「学級通信」も、手書きだった。先生がお忙しい中、書いてくださっていた。たぶん25年くらい前まで手書きが主流だったと思う。
巻頭の御文を書いた大石鐵蔵さんは、私のかつての上司で、今は頼山陽ネットワーク会員になってくださっている、先日もご投稿してくださった。奇しきご縁である(笑)
黒っぽくみえる液体は「たまり」と呼ばれる。「たまり」が味噌の表面を覆っているため、カビが発生しない。「たまり」を利用した「たまり醤油」というのがあるが、もちろん「たまり」だけでもじゅうぶん調味料として活用できる。私は醤油代わりに煮物や隠し味などに使っている。甘みとややとろみがあって、これはこれでおいしい。市販の醤油は半年くらい使っていない。
2024・7・22
たまり
暑さが本番となり、手作り味噌は順調に発酵中。
2024・7・21
51年前の寒い朝
断続的に続けている所有品の片付け。出てきたのは昭和48年(1973)11月24日付北海道新聞。
「第11回有島青少年文芸賞」の発表があり、最優秀賞(1名)、優秀賞(3名)に続き、入選の2番目に「北海道立札幌高等学校三年」だった私の「指」という作品がある。
冬の訪れが感じられるようになったこの朝、高校に登校すると、級友から「ミノの名前が新聞に出ていたよ」と教えられる。
下校時、開通して間もない札幌の地下鉄南北線の幌平端の売店で買ったのがこの新聞だ。「え? 最優秀賞じゃないんだ」というガッカリ感と同時に、自分の名前が新聞に載った誇らしさが去来した記憶がある。
51年前の話である。