見延典子の母方の父、石川県羽咋市にルーツのある「長濵家」について、

二従兄弟の長濵好博さんと『私たちのルーツ』にまとめました。

 このあと、その他の写真を合せて、ミニアルバムを作成予定。

 

2024・8・10

集合写真

 

 ルーツの会で写した集合写真をハガキにプリントして、参加者に送る。スマホで写したもので、明るさなど調整して、なんとか全員34名の顔がわかるような写真になった。


2024・8・7

『私たちのルーツ』

        出版記念食事会③

 

 本ブログを通じて知り合った縁戚の荒木陽子さんが出席くださったことは書いたが、一緒に能登に旅行した岡本久美子さんのご母堂工藤陽子さんもご出席くださった。もちろん工藤さんも長濵家の縁戚である。

荒木陽子さん(左)と工藤陽子さん
荒木陽子さん(左)と工藤陽子さん

 左から雪子叔母さん、悦子叔母さん、見延典子。雪子叔母さんとは10数年ぶりの再会だ。閉会直後で、いい感じに酔いがまわっている(笑)

 長濵好博さん、よい会を開いてくださり、ありがとうございます!

 

2024・8・6 『私たちのルーツ』出版記念食事会②

 主催者で総合司会の長濵好博さん

 4名の皆さまから祝辞をいただいたあとは、お食事の時間。どれもおいしくいただく。典子は高校卒業して札幌を離れたので、叔父、叔母、従姉妹とはなかなか会う機会がなかった。○十年ぶりの再会の人も。

 小樽からご参加の川堰弘子さんのご母堂はなんと、98歳。典子の母95歳なので、参加者の最長老。

 98歳の川堰八重子さんと弘子さん


 左から従姉妹のみゆきちゃん、雪子叔母さん、栄子叔母さん、典子

 二人の叔母さんは80代。

 

2024・8・5 『私たちのルーツ』出版記念食事会

 

 長濵好博さんが、8月3日(土)『私たちのルーツ』出版記念食事会を札幌グランドホテルで開いてくださった。好博さん、典子にとって曽祖父母長濵久松、よんと接点をもつ親族30名余りが一堂に会し、歓談した。

司会進行の長濵好博さん(右)とルーツの話をする見延典子
司会進行の長濵好博さん(右)とルーツの話をする見延典子

 本ホームページを通じて知り合った川堰弘子さん、荒木陽子さんとも会場で初対面を果たす、ご参加、ありがとうございました。

2024・8・3『私たちのルーツ』寄贈

 

  長濵好博さん、見延典子の故郷にある札幌市白石区民センター図書室に『私たちのルーツ』『私のルーツ』を寄贈した。

 また8月3日、4日に行なわれる「萬藏まつり」に先だち、主催の本郷商店街の本郷会館もお訪ねし、同書を寄贈した。「長濵万蔵」は好博さんの祖父、典子の大伯父にあたる。

 本郷商店街の役員の皆さまが、祭の準備でお忙しい最中に対応して下さった。色紙にサインを求められる。余白があり、イラストも描く。

   長濵好博さんと見延典子      長浜萬藏像の前で
   長濵好博さんと見延典子      長浜萬藏像の前で

「さっぽろ10区」の取材もきてくださり、長濵万蔵像の前で写真を写していただく。

 


川堰弘子さんの祖父母亀田仁太郎、ヤスも、長濵好博さんと典子の曾祖父母長濵久松、よんも、能登を発ったあとは小樽(手宮)を目指した。写真は小樽運河。

2024・7・10 

川堰弘子さん

「言い表せないほど感激」 

       ⇔ 見延典子                

見延典子様

『私たちのルーツ』、母とともに拝読させていただきました。

まずは、時間をかけ、膨大な資料をもとに一冊の本にまとめられたことに感動し、ただただ敬服の念の一言で、言い表せないほど、感激いたしました。


1590年(天正18)からの悠久ですが、渡道された長濱久松さん、その長男の万蔵さんを中心に、時代背景や長濱家に所縁のある方々が実に細かく述べられており、カラフルな表紙、座談会、写真、投稿文などバラエティーな構成内容に、魅了されました。

長濱よんさん娘「はる」さんを通じてのご縁となりましたが、ほんの少しですが、私もお役にたててうれしかったです。

また、私も母と、祖母「ヤス」について、また、長濱家、中田家、播磨家等親戚について語る良い時間がもてました。改めて、先祖様を思い、慕う良い機会となったことに感謝しております。

この度は、誠にありがとうございました。厚くお礼申し上げます。

そして、長濱好博様からお誘いしていただきました、『8月の出版をお祝いするお食事会』にてお会いできることを楽しみにしております。               

                         川堰弘子

川堰弘子様

  川堰弘子さんから初めて本ホームページに御投稿があったのは、昨年の⒋月19日。長濵好博さんが小樽までルーツの調査に行かれた際にお会いしたというお知らせでした。好博さんの調査力と行動力がなければ、『私たちのルーツ』は完成しなかったでしょう。

 川堰弘子さんと私は、川堰弘子の4代前で、私の5代前の高祖父「播磨屋五郎八」が同じという9親等の関係になると思います

  「播磨屋五郎八」の娘の長女「はつ」が私の高祖母、次女「ミヨ」が川堰弘子さん

  の高祖母。さらに好博さんと典子の大伯母「はる」と川堰弘子さんの大伯父「中

  田金藏」(ヤスの兄)が夫婦

 通常、女系は家系図に残りにくいものです。川堰弘子さんは「播磨」から「中田」「亀田」「川堰」、私は「播磨」「長濵」「見延」と異なる姓を辿っていかなければなりません。

 こんなふうに女系で9親等の関係が確認できたのは、奇跡的ですね!

あらためて長濵好博さんに感謝申します。

 8月にお目にかかるのを、私も楽しみにしております。

                         見延典子

 

2024・7・5

『私たちのルーツ』出版の食事会

 

 『私たちのルーツ』出版を記念して、長濵好博さんが8月に札幌で祝いの食事会を開いてくれる。

北海道の夏の味覚夕張メロン
北海道の夏の味覚夕張メロン
長濵好博さん主催の出版を祝う食事会
長濵好博さん主催の出版を祝う食事会

 その案内状が届いた。前後して夕張メロンもいただく。食事会には『私たちのルーツ』に寄稿してくれた親族はじめ、一族が集う予定。いまからとても楽しみである。

 


2024・7・3 

宇津志眞砂子さん ⇒ 長濵好博さん

「好博さんの熱意に感激」

 

 長濱好博様

 壮大なルーツの繋がりを、あれほどに深く広くまとめあげられたご親戚のみな様、好博さんの熱意にただただ感激で(失礼ながら)言葉足らずの感動を送らせていただきました。

大伯父の顕彰碑をカメラにおさめる長濵好博。2023・5・24 羽咋市柴垣町


 upしていただき、何より恐縮しております。

「ご先祖の、時機・時でのご決断、勇気、そして結束、つながりを大事にされる信仰心! その魂は今も生きている~ 」

 系列のみな様がしっかり受け継いでいらっしゃいますね。

 悠久の時を旅させていただいたこと、生きることの大事さを教えていただきましたこと・・・感謝です。

 こちこそ有難うございます。         宇津志眞砂子

 

2024・7・2 長濵好博さん ⇒ 宇津志眞砂子さん

「感想をいただき、勇気をもらいました」

 

宇津志眞砂子さん

 宇津志さんからのお便りを拝見し、びっくりしました。親族以外の方の感想をいただき、私どもも大変勇気をもらいました。

 私どもと申しましたのは、沼田千恵子(万蔵の長女ヨシの長女)、長濱清(万蔵の姉とよ の孫)、何より私の妻智子(文献探し等)の協力、親族の岡本久美子さん、亀田さん、川堰さん、播磨さん、島田さん、お寺さん……そして見延さんの素晴らしい編集のおかげでできあがったと思っています。

 ありがとうございました。

                           長濵好博

 

2024・7・1

宇津志眞砂子さんから

      ⇔ 見延典子

 

『私たちのルーツ』を読んでくださった宇津志眞砂子さんから、ご丁寧な感想が寄せられました。一部をご紹介いたします。


「『私のルーツ』『私たちのルーツ』②冊並べて、見延さんのおおらかさ、たくましさに、いま、ガテン‼ 感動を覚えています。

 表紙絵色彩、イラストにご先祖へのエールが表現されていると解ります。時代にあらがい、というか受け入れ、未知の北海道に渡る・・・

 信仰でつながるご先祖の真摯な生活、その土地に根を張る姿が見えるようで心がウルウルしますね。

 能登の歴史にもつながる400年以上もさかのぼる一族の壮大な歴史、そして先祖からつながる絆を更に結い直すというすごいルーツの旅。

 今を生きるということー感動に勇気をいただきました。

 長濵好博様にもよろしくお伝えください。

                       宇津志眞砂子

宇津志眞砂子さんへ

 ご購読下さった上に、ご感想までお送り下さり、ありがとうございます。これまで調べた私の先祖は、いずれも江戸時代には平穏な暮らしを営んでおりましたが、明治維新という最低最悪の国策の前に生活の術を失い、生きるために北海道に渡りました。

 ただ、異郷にあっても、先祖なりの知恵と勇気で、あらたな生き方をみつけ、子孫へとつないでくれたことは、私にとって人生の大きな指針になっております。

 8月には札幌で血族が集まる会を予定しております。またご報告いたします。ありがとうございました。

                     見延典子

 

2024・6・18 

宇津志眞砂子さん「『私たちのルーツ』完成ご苦労様です」

        ⇔ 見延典子

 

「私たちのルーツ」完成ご苦労様です。毎回、ルーツに関する記事は興味深く拝見しておりました。

見延様、長濱様縁者の方々に心より敬意の表します。

貴重なご本を拝読したいと思います。見延さんの描き下ろしのイラストも拝見したいです。


 宇津志眞砂子さんへ

  父方の祖父「見延」、母方の祖父「中山(井川)」(2018年『私

 ルーツ』収録)そして今回は母方の祖父「長濵(中駄)」のルーツにつ

 いて調べ終ることができました。

  3家とも300年から400年前の先祖まで辿り着くことができまし

 たが、手助けになったのは3家とも、私が調べる以前に先祖を調べてい

 た血族の存在です。彼らの調査があったからこそ、先祖の姿を知ること

 ができたといえるでしょう。

  ルーツ探しの旅は楽しいですよ。宇津志さんもぜひ挑戦して下さい。

                          見延典子

 

在りし日の加藤多一さん
在りし日の加藤多一さん

2024・6・15

加藤多一さん

 

 北海道在住の児童文学者で、詩人の加藤多一さんが、昨年3月88歳でお亡くなりになっていたことを知った。加藤さんとは、毎秋札幌で行なわれるある文芸賞の審査で、20年間お会いしていた。

 なぜ本欄でご紹介するかというと、加藤さんは札幌市の職員だった方で、仕事として白石の町づくりに関わっていらした。その縁で長濵万蔵をよくご存じだった。


 長濵万蔵は私の大伯父にあたると話したら、大いに驚き、以来私を「長浜さん」と呼んでいた。加藤さんはお兄さんを戦争で亡くし、そのことが文学の核にある方で、舌鋒鋭い方であったが、万蔵のことは「万蔵さん」と呼び、口調には敬意というものが感じられた。

 おそらく万蔵が中心になって行なった、札幌市白石の本郷周辺の土地の解放(売買)を評価していらしたのだろうと想像する。万蔵自身は、目的を同じにするのであれば、体制派とか反体制派とかに縛られることなく接したのだろうと、これも想像する。

 もっと伺っておくべきことがあった。知人の訃報に接するたびに、なにがしかの悔いが押し寄せる。今回も同じである。合掌。

 

 未来の子孫のためにつくった非売品の冊子ながら、ご希望の方がいらっしゃれば、ご連絡をお持ちしております。A4版 256ページ フルカラー。製本だけ業者に委ね、その他はすべて手作業。

2024・4・15

『私たちのルーツ』完成!

 

 丸2年の歳月をかけて、長濵好博さんとの共著『私たちのルーツ~能登から北海道へ 1590年からのい悠久』が完成した。

 取材に応じてくださった皆さま、誰より「大家系図」を作成するなど、併走してくれた好博さんに感謝申しあげます。

 


2024・4・8

部品代は・・・

 

 プリンタの修理担当者から電話。まず保証期間外と告げられ、交換が必要な部品代は130円、と。

 安いと思ったのも束の間、技術料金だの運搬料だの請求金額は「0」の数が違う。チーン。

 修理はメンテナンスと考えるべきか?
 修理はメンテナンスと考えるべきか?

 考えれば、自宅 ⇒1オペレーター⇒ 2中継地点までのドライバー(小柄な女性) ⇒ 3修理工場までのドライバー ⇒ 4修理担当者 ⇒5発送を電話する人 ⇒ 6中継地点までのドライバー ⇒ 7自宅までのドライバー ⇒ 自宅、という具合に、私が把握するだけでも最低7人が関わっている。人件費にお金を払っているということか。

 

印刷はストップ
印刷はストップ

 いろいろ試みるも万事休す。やむを得ず修理に出すことに。

2024・4・6

印刷開始・・・のはずが

 

 長濵好博さんによる校正が終わり、一気呵成に印刷開始のはずが、プリンタが動かなくなった。

 ひきとりにやってきたのは小柄な女性。そのまま持っていこうとするので「梱包は?」と訊くと、思い出したように車から箱を持ってくる。20キロもあるプリンタをなんとか箱に収め、ひきずるように車の荷台まで持っていったが、さてさて無事に戻ってくるかなあ。

 


2023・2・21

見本誌の完成

 

 自分で両面印刷したものを製本して、見本誌の完成。A4版、250ページの大部。といっても非売品なので、確認用というところかな。

 見返しもブルーにして、能登を北海道をつなぐ海と空を表現した。

 


2024・1・30

『私たちのルーツ』表紙、決定!

 

『私たちのルーツ』用に描いた装画で、装丁してみた。

裏表紙は草を食む牛の母子
裏表紙は草を食む牛の母子
荒波は葛飾北斎風(笑)
荒波は葛飾北斎風(笑)

 能登からはるか北海道を目指した海の「青」をベースに、煉瓦にちなむ「赤茶」、牧場をイメージする「緑」も入れて。明るい仕上がりに。我ながらGOOD!

 


2023・1・12

能登半島地震、下水道に支援要請

 

 元旦に発生した能登半島地震は、被害の深刻さを伝える報道が続いている。寒さに加え、道路の寸断、上下水道の被害が甚大なようだ。

 長濵好博さんからの情報によれば、好博さんの勤務先が所属する日本下水道管路管理業協会に支援要請があり、全国から11班が現地に向かうという。北海道からは1班、5社7名、車両は5台が、週末金沢に向けてフエリーで向かうそうだ。

 

父祖の地「石川県羽咋市滝谷」は妙成寺の門前町。住宅に大きな被害はなかったが、1月8日時点で水道は使えず、井戸水を分けてもらっているという話であった。写真は2022年10月28日


昨年末の紅白歌合戦で「あの空に立つ塔のように」を歌う大泉洋。ネットより

北海道百年記念塔 札幌市厚別区の道立自然公園野幌森林公園内に建てられた、高さ100mの記念塔。1968年に北海道百年記念事業の主要事業の一つとして着工され、1971年4月より一般公開され、2023年老朽化を理由に解体された。

 老朽化に伴い、北海道庁は解体を決め、反対する人々と裁判になっていたところまでは知っていたが、改めて調べて、すでに解体されたことを知った。ショックである。

2023・1・7

大泉洋の「北海道百年記念塔」の歌

 

 昨年末のNHK紅白歌合戦で、大泉洋の「あの空に立つ塔のように」を聴いたとき、「北海道開拓百年記念塔」について歌っていることに気づいた。私も高校1年のとき(一般公開された1971年)亡父の運転する車で同級生と訪ねた思い出がある。また帰省する際、高層ビルの展望台からしばしば眺めた。札幌市民なら知らない人はいない塔である。

 記念塔設計者の声 ネットから
 記念塔設計者の声 ネットから

 大泉洋の曽祖父または高祖父の大泉安定と、私の曽祖父の長濵久松は同時期に札幌の白石村議会議員を務めていたことは以前書いたかと思う。大泉家は現在の宮城県にあった白石藩の重臣で、札幌市白石区の白石中央を中心とした開墾に関わっている。

 大泉洋の略歴をみると、江別市で生まれ、小学生のとき札幌市に移っている。自ら作詞した歌は記念塔の思い出を歌っているというより、先祖への思いが反映されているように思えるが、いかがであろうか。尚、この曲の作曲者は北海道旭川出身の玉置浩二である。

 

「あの空に立つ塔のように」作詞大泉洋 作曲玉置浩二

 

空が広く見える街で 僕らは出会った 高く古い塔が見守ってた

あれはポプラの影が伸びる道 秋風に二人 互いに手を取り 夢語り合った 

Good bye days Good bye dream あの日歩いた道

帰れない 戻れない あの日君に聞かせたあの夢は

今も胸に棘になり刺さって あの空に立つ古い塔のように

踏ん張って 真っ直ぐ立っていたい

「愛してる?」といつも 君は確かめた 「側にいて」といつも頬寄せた

あれは2人であった最後の夜 雪が降るホーム うつむいたままの 君を抱きしめた

笑って 見つめて その声を聞かせて

本当は 本当は お互い分かってたんだ

これが最後になるって それでも それでも いつか もう1度会えたら

笑って その手離さない 今はもう無い あの高く古い塔

雨だって 雪だって 嬉し涙も悔し涙も いつもあの空で見てた

Good bye days Good bye dream 変わり続ける未来

no more cry no more cry あの日君に聞かせたあの夢を

いつか叶えるその日がくるまで あの空に立つ古い塔のように

踏ん張って 真っ直ぐ立っていたい

 

2024年1月2日の妙成寺 ネットより
2024年1月2日の妙成寺 ネットより

 ネットのニュースによれば、本堂や五重塔など10棟の重要文化財のある妙成寺(石川県羽咋市)では、堂内の仏像や仏具が多く倒れるなどしたが、建物に大きな被害はなく、人的被害もなかったという。

 2024年1月2日羽咋駅 ネットより
 2024年1月2日羽咋駅 ネットより

2024・1・6

石川県羽咋市の妙成寺

 

 能登半島地震は、現在も行方不明者が多くいらっしゃり、復旧が見通せない状態が続いている。

2022年10月28日 妙成寺の見延  妙成寺の塔中である善住寺が先祖の菩提寺
2022年10月28日 妙成寺の見延  妙成寺の塔中である善住寺が先祖の菩提寺
2022年10月28日羽咋駅 見延が写す
2022年10月28日羽咋駅 見延が写す

 しかし寺院については、珠洲市、輪島市、七尾市などで甚大な被害が出ているようだ。長濵好博さんからの情報では、富山県氷見市にある、私たちの縁者の寺も被害にあっているという。

 

 震度7だった志賀町は羽咋市と隣接している。北前船の寄港地で、日本最古の木製灯台のある福良港も志賀町にあり、職員さんが案内してくれた。近くに志賀原子力発電所があり、その広い敷地が印象的だった。

福良港は北前船の寄港地2023年5月   二従兄弟の長濵好博さんと
福良港は北前船の寄港地2023年5月  二従兄弟の長濵好博さんと
渚ドライブウエイ 2023年5月
渚ドライブウエイ 2023年5月

2024・1・2

令和6年能登半島地震 大津波警報

 

 2024年元旦に発生した令和6年能登半島地震。一昨年秋と昨春、ルーツを探しに父祖の地「羽咋市」を訪ね、多くの方々にお世話になったことを思い出す。

石川県志賀町福良港 日本最古の木製灯台 2025月5月
石川県志賀町福良港 日本最古の木製灯台 2025月5月

 羽咋市の渚ドライブウエイは、日本で唯一砂浜を車で走ることができる観光道路。朝日や夕陽を眺められる人気スポットでもある。

渚ドライブウエイ 羽咋市ホームページより
渚ドライブウエイ 羽咋市ホームページより

「海」を観光資源にしている市町村が多い土地柄。皆様、どのように過ごされているだろうか。


ホームページ編集人  見延典子
ホームページ編集人  見延典子

 

「頼山陽と戦争国家

国家に「生かじり」された 

ベストセラー『日本外史』

『俳句エッセイ 日常』

 

『もう頬づえはつか      ない』ブルーレイ

 監督 東陽一

 原作 見延典子

※当ホームページではお取扱いしておりません。

 

 紀行エッセイ

 『私のルーツ

 

οο 会員募集 οο

 

「頼山陽ネットワーク」の会員になりませんか? 会費は無料。特典があります。

 

 詳しくはこちら