見延典子が、明治期に石川県羽咋郡滝谷から北海道札幌市白石区に

  移住した母方の祖父長濵家ルーツについて書いています。

   北海道に渡った曽祖父が長濵久松。曾祖母がよん。二人の長男が万

  蔵(好博さんの祖父)、次男が久蔵(典子の祖父)です。

   岡本久美子さんは長濵十助(重助)の系列で、札幌に渡ったあと長  

  濵久松と同じ住所に住んでいた。血縁関係については調査中。

大伯父長濵万蔵が父祖の地に建てた墓
大伯父長濵万蔵が父祖の地に建てた墓
代々万右エ門が守っている薬師堂の前で。長濵好博さん、長濵Kさん、典子は曽祖父母長濵久松、よんを同じくする二従兄弟である。こうやって会えていることがそもそも奇跡。
代々万右エ門が守っている薬師堂の前で。長濵好博さん、長濵Kさん、典子は曽祖父母長濵久松、よんを同じくする二従兄弟である。こうやって会えていることがそもそも奇跡。

2022・11・6

父祖の地を訪ねて

 

 長濵家のルーツ探しの旅が終わり、帰宅した今も、じんわりと感動がひろがっている。

うどんではなく「そば」
うどんではなく「そば」

 ここから新たな始まり。『長濵家のルーツ』をまとめなければならない。新たにわかったこともあるが、依然としてわからないままのことも多い。それらを想像で補いつつ、先祖の足跡を明らかにしていく。

 


2022・11・1

七尾城跡、和倉温泉

 

 ここからは一人旅。能登国の守護畠山氏の七尾城跡に向かう。今は石垣しか残っておらず、登山に片道一時間かかると知り、断念。

資料館の古いビデオから。最新映像はユーチューブで見ることができる。
資料館の古いビデオから。最新映像はユーチューブで見ることができる。

 隣の庄屋の屋敷では書面台に『春秋左氏伝』が置かれている。

 JR七尾線をさらに北上し、和倉温泉へ。小さな宿は源泉掛け流し。公衆浴場の「総湯」にも入る。海の温泉ならではの塩分濃度の高いお湯で、皮膚病に効果があるとか。

 

七尾城登山に向かう人々
七尾城登山に向かう人々

 近くの歴史資料館では、七尾城を再現したユーチューブが流れている。古いビデオも見せてもらったら「上杉謙信に攻め落とされる場面は頼山陽の『日本外史』に書かれている」とナレーションが入っていた。

 父親が土の中から、二つに割れた地蔵をみつけ、地蔵堂を建てた。そこに花を飾るのを日課にしているという女性。

和倉温泉の総湯
和倉温泉の総湯

父祖の地、滝谷の様子
父祖の地、滝谷の様子
代々の長濵万右エ門が守ってきた薬師堂
代々の長濵万右エ門が守ってきた薬師堂

2022・10・31

ありがとうございました

 

 レンタカー運転の長濵好博さん、道案内の長濵Kさん。スマホを駆使する岡本久美子さん。貴重な話を聞かせてくださった父祖の地「滝谷」の長濵家の皆さん。2日間、皆様、ありがとうございました。

案外、海が近い。塩もつくっていたという。
案外、海が近い。塩もつくっていたという。
新発見、大伯父長濵本布の墓?
新発見、大伯父長濵本布の墓?

 見聞した事柄は、とうてい書ききれない。好博さんと協力しつつ、いずれ『長濵家のルーツ』として、まとめたいと思う。

 

2022・10・30

玉手箱をあけたような時間

 

 合流した「チーム長濵」で、共通の先祖の墓参。やっと夢が叶った。

 札幌から参加の長濵Kさんはこの地(滝谷)で生まれたので、親戚、知人も多い。ご住職からは、長濵の先祖の話をお聞きする。感無量。玉手箱を開けたような時間。

 

チーム長濵
チーム長濵
甘いアケビの実
甘いアケビの実

七尾線の鈍行は2両編成
七尾線の鈍行は2両編成
妙成寺(石川県羽咋市)に着きました。
妙成寺(石川県羽咋市)に着きました。

2022・10・28

JR七尾線に揺られて妙成寺へ

 

 JR七尾線に揺られて、父祖の地である羽咋(はくい)駅へ。

 そこで二従兄弟(曽祖父長濵久松が同じ)で札幌から来た長濵好博さん、Kさん、遠縁で埼玉県からきた岡本久美子さんと合流。

 一路、父祖の地にある金栄山妙成寺を目指す。妙成寺は加賀藩主前田家ゆかりの日蓮宗の寺で、五重塔など10棟の国重要文化在がある。長濵家の菩提寺善住寺はその妙成寺と深いつながりがある。

 


2022・10・27

ルーツ探しの旅へ

 

 そういうわけで長濵家のルーツ探しの旅に出る。まえのりで金沢へ。

バスの乗り放題パスで名所を訪ねる。
バスの乗り放題パスで名所を訪ねる。

 平日にもかかわらず、関西と金沢を結ぶサンダーバードは乗客でいっぱい。全国旅行支援の効果かと思いきや、30日(日)に行なわれる金沢マラソンのせいらしい。ややひんやりした空気が北陸らしい。

 


 好博さんが送ってくれた家系図
 好博さんが送ってくれた家系図

2022・10・22

家系図

 

 石川県への長濵家のルーツ探しの旅に備え、好博さんが新たな家系図を送ってくれた。

 長濵家は寺侍だった中屋家(中駄家)と近い関係にあったようで、曽祖父長濵久松は中屋家(中駄家)から長濵家に養子に入った。

 今回の家系図は整然として、そのあたりがわかりやすくなっている。

 


 こうして一枚の紙に収まっている6代の家系図ではあるが、幕末から明治への時代の転換点で、長濵家、中屋家(中駄家)とも北海道に渡り、子孫をつないだ苦闘の歴史が見えてくる。

 

2022・10・20

旅の仕度

 

 近々長濱家のルーツ探しの旅に出る。札幌から二従兄弟の長濵好博さんと長濵Kさん、埼玉県から長濵一族の岡本久美子さんが参加。「チーム長濵」による4人旅だ。

札幌、埼玉、広島から「チーム長濱」が集まる。目指すは、父祖の地である石川県羽咋市
札幌、埼玉、広島から「チーム長濱」が集まる。目指すは、父祖の地である石川県羽咋市
JRの乗車券も入手
JRの乗車券も入手

 典子は、長濵Kさんと久美子さんとは初対面で、好博さんとも一回しか会ったことがない。そんな4人が、少し前から連絡を取り合い、好博さんが立ててくれたスケジュールに沿って、宿を決めていた。

 久美子さんはラインで「修学旅行みたい」と書いてきた。確かに。

 久しぶりに旅のわくわく感を思い出しつつ、JRの乗車券を買い、準備を進めているところである。

 


2022・10・9

墓参

 

 祖母長濵カツヱの7人の子(典子の母、叔父叔母)が墓参した写真が届いた(墓は札幌市)

母(前列左から2番目)は8人姉弟の長女
母(前列左から2番目)は8人姉弟の長女

 祖父長濵久蔵が昭和23年49歳で急逝したあと、カツヱは8人の子どもを育てあげた。

 長男の叔父だけが亡くなったが、残る7人はそれぞれの余生を送っている。母を含め90代が2名。80代が4名、70代が1名。みな道産子である。

 曽祖父長濵久松、曾祖母よんがまいた種は、すっかり北海道に根を下ろしている。

 

 祖父長濵久蔵、祖母カツヱの墓
 祖父長濵久蔵、祖母カツヱの墓

2男6女を生み、晩年は石川県に帰った。
2男6女を生み、晩年は石川県に帰った。

2022・9・12  

曾祖母「長濵よん」の肖像写真

 

 長濵よん(1864~1939)は長濵久松の妻で、長濵好博さん、見延典子の曾祖母。長濵家のルーツについて好博さんから多くの情報を得るようになったが、長濵よんの肖像写真を見たのは初めてだ。

 この時代に女性の肖像写真が残っているのは、めずらしいのではないか。裸一貫で北海道に渡ったあと、久松を支え、それなりの資産を形勢したことが想像できる。


 喪服を着ているので、仮に久松(1863-1929)の葬儀の時に写したとすれば、65歳のころの写真になるが、詳細は不明。晩年は、郷里の石川県に帰った。そこには、この夫婦の背負った物語がある。

 幕末に生まれ、明治に石川県から北海道に渡り、大正、昭和と生き抜いた先祖の話を、いずれ完成させたい。

 

2022・9・10 典子が高校時代に住んでいた家

 

 長濱好博さんがなつかしい写真が送ってくれた。私の祖父母 長濱久蔵とカツヱが営んでいた長濱牧場(札幌市白石区本通5丁目)の写真だ。

 手前の道は国道12号線。昭和30年代と思われる。

 2枚目は同じ場所に家を新築したあとのもの。長濱牧場が長沼に移転したあと、高校時代の典子は姉や妹とこの家で暮らしていた。昭和40年代の写真だろうか。2枚とも、札幌公文書館に収蔵されているという。

2022・9・4 木内由晴さん「ルーツが判明!」 ⇔ 見延典子

                  

見延典子様

明治22年(1889)見延典子さんの先祖中山茂三郎一家と札幌郊外の篠路兵村に入植した、私の先祖「木内武治郎」の情報収集を継続していたところ、北海道屯田倶楽部K様から突然朗報が入りました

  篠路兵村 屯田倶楽部HPより


その内容は北海道在住の松永様という方からK様に「木内武治郎」に関する問い合わせがあり、「松永武治郞」が養子縁組をして「木内武治郎」に代わったことで突然「木内姓」が出てきたというものでした。先般北海道の松永様と連絡を取ったところ、親戚であることが確認できました。

 

 木内由晴さんへ

  ルーツがわかり、わがことのように嬉しく思います。

  長年の調査が実を結びましたね。

 

      JR函館本線市白石駅
      JR函館本線市白石駅

 白石駅前のコンコースには名前が刻まれたレンガが敷き詰められている。2011年ころ、駅前の整備が行なわれ、2000円寄附した場合はレンガに名前を刻んでくれるという募集が行なわれた。

2022・8・29

白石駅、ネーム入りレンガ

 

 札幌に帰ったついでに、JR函館本線市白石駅まで足を伸ばす。

 名前が刻されたレンガがびっしり
 名前が刻されたレンガがびっしり

 何度も書くように、曽祖父長濵久松はレンガ工場長だった。母に誘われて応募したが、レンガの数が多くて(数千個?)2度訪ねても、探しだせなかった。3度目の正直で11年ぶりにようやくみつけることができた。

ホームページ編集人  見延典子
ホームページ編集人  見延典子

 

「頼山陽と戦争国家

国家に「生かじり」された 

ベストセラー『日本外史』

『俳句エッセイ 日常』

 

『もう頬づえはつか      ない』ブルーレイ

 監督 東陽一

 原作 見延典子

※当ホームページではお取扱いしておりません。

 

 紀行エッセイ

 『私のルーツ

 

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