一方水内の温泉は三階建ての岩田屋はじめ、多くの温泉宿が立ち並んでいて、山から直接三階に出入り出来たり三階から廊下を伝って隣にいけるようになっており、湯治客の利便を図っていたようである。
2017・7・7
望月信子さん 天狗紀行其の二
「岡岷山『都志往来日記 同諸勝図』展を見て」②
「水内」と題された絵図は3枚にわたって描かれている。重晟公の湯治場であった水内の温泉を(湯の山温泉)興味深く描いている。現在は湯来ロッジなどのある湯来温泉の方が人気があるようだが、当時は湯来温泉の方は(多田村温泉として)描かれている。実に鄙びている
「岩盤を掘って湯壺とし 前に石を築いて湯所としている 浴槽は三つに分かれていて 入口から一の湯は四畳 二の湯は六畳 三の湯は一畳くらいである 浴槽からあふれた湯は岸壁から滝となって落ちている」野地正人 現代文より
水内の絵図だけでなく、他も実に興味深い。
目的地の都志見龍頭山の駒ケ滝も現在の姿とは異なるが、面影の残っている部分も多くある。
絵図を見ていると江戸時代の人と心を通わせることが出来るような気がしてくる。「岡岷山の日記と絵図」(野地正人著)は同図書館にて貸し出してくれる。
「都志見往来日記,同緒勝図」は寛政9年(1797年)に岡岷山が広島城下を出発して五日市、湯来町、安芸太田町、筒賀、加計を経由して北広島町都志見の滝に着き 帰路は澄合から川船で城下に到着するまでの7泊8日の旅紀行文と諸勝図は道中で写生した37の景勝図40枚から構成されている
2017・7・6
望月信子さん 天狗紀行其の一
「岡岷山『都志往来日記 同諸勝図』展を見て」
佐伯区図書館 湯来河野閲覧室にて常設展示している。
8月23日から30日であるがこれを太陽暦に換算すれば今の10月12日から19日頃に相当する 諸勝図37景のうち3分の1は湯来町の景勝図であることから湯来町ではこの絵図は地域の宝であるとして 昨年地元在中の野地正人さんによる日記の現代文での出版事業に取り組み素晴らしい本が出来上がった。この本を中心にしてより身近に親しんでもらうため甲斐さゆみさんにより漫画版も出版されている。 つづく
岡岷山(1734~1806)は頼春水とほぼ同時代に七代藩主
浅野重晟に絵師御用向として重用され、名勝厳島や縮景園
翠光園などと関わり「芸備孝義伝」の挿絵「芸備諸村幕府図」「都志見往来日記,同諸勝図」などを制作した。頼春水、杏坪などとも交流があったことが窺える。