見延典子が書いています。

 1827年(文政10)頼山陽が松平定信(楽翁)に『日本外史』を献じ、褒賞を得ました。御三卿田安家出身の定信は老中首座として寛政の改革を行なった人物で、将軍家には複雑な思いを抱いていましたが、徳川家の一員であることに変わりはなく、山陽は徳川家からお墨付きをもらったといえるでしょう。

 

2025・2・20

桑名市博物館蔵『日本外史』③

 

 頼山陽が『日本外史』を松平楽翁に献じたのは、文政10年(1825)5月21日46歳のときである。事前に『日本外史』の話が楽翁の耳に入るように努め、形の上では楽翁の求めに応じて贈ったことになっている。

 当時、楽翁は桑名藩で隠居生活を送っていたが、暮らしているのは江戸藩邸で、従って『日本外史』は江戸に送られたわけだ。ただ、どのようにして運ばれたのか、改めて調べてみても、よくわからない。臣下の田内月堂が受けとりにきたのであろうか。


 楽翁の手もとに届いたのは閏6月11日。この日から楽翁は全22巻を読みはじめ、7月5日に読了している。2週間足らずで読んだことになる。

 上の写真は翌文政11年1日25日に楽翁が感想を綴ったもので、漢文ではなく仮名書きである。「風月翁」は楽翁のこと。

 感想といっても著者の山陽に贈られたわけではなく、桑名市博物館の解説にあるように「別冊」として残されているようだ。

 しかし山陽は楽翁が感想を綴ったという情報を田内月堂から得て、文政12年正月ころその複写を入手し、「題辞」として、友人の小石元瑞に見せている。(以上『頼山陽全伝』下巻の要約)

 

2025・2・19

桑名市博物館蔵『日本外史』②

 

 昨日の写真がやや不鮮明だったので、再度掲載する。

 

 本文の文字の端正さは、父春水譲りというべきか。

 

 松平定信のために返り点を打ったのも山陽だろう。

 

 桑名市博物館(三重県桑名市京町37-1)

  • で実物を拝見したい。

 2015年、桑名市・白河市合同企画展実行委員会編集・発行の『大定信展』
 2015年、桑名市・白河市合同企画展実行委員会編集・発行の『大定信展』

2025・2・18

桑名市博物館蔵『日本外史』

 

 桑名市博物館蔵『日本外史』が掲載されている冊子を入手した。

 2015年、桑名市・白河市合同企画展実行委員会編集・発行の『大定信展』である。

 その一部を下に掲載するが、説明文に少しわからない(わかりにくい)ところがある。

 やっぱり現物を見にいかなければならないようだ。

 

 

2015年桑名市・白河市    合同企画展実行委員会編集・発行
2015年桑名市・白河市    合同企画展実行委員会編集・発行

2025・2・15

山根兼昭さん「ぜひ拝見しましょう」

          ⇔ 見延典子

 

見延典子様

すっかりご無沙汰しておりますが、毎日の更新ご苦労様です。

小生も3月で満88歳になりますが、まだまだ元気でいます。

松平定信
松平定信

この度、桑名の美術館に、頼山陽が松平翁に献じた「日本外史」があるという記事に接し、素晴らしい発見と感激しております。

是非とも桑名市博物館で拝見しましょう。

                                山根兼昭

山根兼昭さん

 米寿、おめでとうございます!

 今は100歳時代。人生の先輩としてご指導ください。

『日本外史』の展示に関する発表が3月末とのことで、もどかしい思いです。

 判明しましたら、ぜひいっしょに見にいきたいですね。

 よろしくお願い致します。

                           見延典子

 

  松平定信(楽翁)
  松平定信(楽翁)

2025・2・14

頼山陽が松平定信(楽翁)に献じた『日本外史』の所在③

 

 頼山陽が松平定信(楽翁)に献じた『日本外史』の所在について桑名市博物館にメールで問い合せた。たいていの博物館のホームページには問い合わせ用のアドレスが書かれている。


 やや日数がかかったが、返信があり、確かにその『日本外史』は、三重県の桑名市博物館にあることが確認できた。但し、個人的には見せてくれない。2025年度(4月~来年3月)に展示予定があるので、その折に見にきてほしい、会期の発表は3月末、という回答であった。

 

 今年の「旅猿ツアー」は三重県かなあ(笑)

 

2025・2・8

頼山陽が松平定信(楽翁)に献じた『日本外史』の所在②

 

 なぜ三重県立図書館に連絡したのかというと、多くの公立図書館のホームページには「レフアレンス」というコーナーがあり、そこに質問を書いて送信すると回答が得られるからである。

 

 仮に電話して「らいさんようについて教えてください」と言っても、「ライ? どんな字を書きますか」という

藤高一男訳『日本外史』 写真はネットより
藤高一男訳『日本外史』 写真はネットより

質問から答えなければならない。その点メールで書き送れば、頼山陽から調べてくれるので手間が省ける。

 

 但し、図書館なので、「○○について載っている本がありますか」という質問にしなければならない。今回なら「そちらの図書館に頼山陽が松平定信(楽翁)に贈った『日本外史』の載っている本はありますか」である。

 

 10日ほとたって連絡がきた。メールではなく、電話である。「特定のアドレスにはメールが送れないのです」という。「え? どんなパソコンや回線を使っているのですか」と訊きたいところをグッと押さえて、回答を聞く。

 

 2冊ほど書名を書き留めたあと、こう問うた。

「あの、ついでに教えてください。現物はどこにありますかね?」

「おそらく桑名市博物館にあるのではないでしょうか」

 

 電話を切り、すぐに桑名市博物館のホームページを開いた。続きます。

 

2025・2・7

頼山陽が松平定信(楽翁)に献じた『日本外史』の所在①

 

 1827年(文政10)頼山陽が松平定信(楽翁)に『日本外史』を献じたことは知られる。

 だが見延は実物を見たことがなく、ずっと気になっていた。

 松平定信(楽翁)は白河藩主であったが、1827年当時は桑名藩に領地替えになり、隠居の身だった。

『日本外史』(上)岩波文庫
『日本外史』(上)岩波文庫

『日本外史』が保管されているとすれば、桑名藩・・・現在の三重県桑名市ではないか。まずは三重県立図書館に連絡をしてみることにした。続きます。