シラカシ1 2014・6・8
拙宅の玄関脇に一本の木が立っている。
シラカシという常緑樹で、初めは2メートルほどだったのが、年々伸びて、今は見あげるほどに生い茂っている。
先日、来客があって、「この下で午睡すると気持ちよさそうですね」といわれた。
客が帰ってから、ふと気づいた。
「あれは剪定したほうがいいという意味だったのだ」
シラカシ2 2014・6・12
60代後半の庭師だった。男性である。
どんなふうに形を整えたいかを訊くと、その日は帰っていき、数日後の早朝、再びやってきた。
麦わら帽子をかぶり、水筒を持参している。
挨拶もそここに、シラカシにはしごをかけるや、鋸と剪定鋏で枝を切り始めた。
まったく躊躇なく、バッサバッサと切っていく。
シラカシ3 2014・6・15
その道に通じている人は何が必要か、何が不要か、瞬時に判断できる。
残すことより、切り落とすことのほうがむずかしい……
シラカシ番外編
2014・6・21
驚いた。
『梅颸(ばいし)歌文鈔』に、なんと「シラカシ」が出ているではないか。
梅颸は頼山陽の母・静の号で、『梅颸歌文鈔』は子孫が梅颸の和歌や文章を子孫がまとめたもの。
昭和16年 婦女界社刊
「吹きしほる嵐をよそにしらかしのつれなく残るいろも寒けし」
寛政11年(1799)梅颸は40歳。前年、3男を亡くした。
山陽は20歳。2月に結婚。直後から遊蕩の日々に。
シラカシは白樫と書いて江戸時代は槍の柄に用いられたという。明治になり、入ってきた樹木だと勝手に思いこんでいた。
それにしてもこの偶然。
嬉しくも、不思議な気分……。