2020・1・28 見延典子 ⇒ 山下幸太郎さん
「『歴史書』と『文学』」
山下幸太郎さんへ
頼山陽は『土佐日記』を災害の記録として読んでいたというご指摘をいっただき、ありがとうございます。
山陽は『日本外史』の259の引用書物の中に『平家物語』や『太平記』も加えています。現代人が「文学」として教えられてきた作品は、山陽の時代には「歴史書」と考えられていたのでしょう。
山陽没後、長く「歴史書」として論じられてきた『日本外史』が、今日では「歴史文学」として捉え直す動きがあることを考えるとき、「歴史」と「文学」とは一見近くにありながら、実はなかなかの距離をもって継承されてきたことに気づかされます。とともに、文章を支える「主観」と「客観」の配分についても考えさせられます。
見延典子
2020・1・27 山下幸太郎さん ⇒ 見延典子
「『通義』に『土佐日記』から事例」
こんにちは。
『通議』の「論水利」において、頼山陽は2つの事例を用いています。
清和天皇の貞観13年(871)に起きた鴨川の氾濫と紀貫之の『土佐日記』です。
清和天皇の氾濫については『日本三代実録』からも確認できます。
一方で気になるのは『土佐日記』です。
頼山陽は「論水利」を通議の一節 位置づけて論じていますが、そうであれば『土佐日記』と水も何らかの関係があるはずです。
そこで考えられるのが、『土佐日記』が紀行文ではなく災害の記録を残したものではないかということです。
特に『土佐日記』の最後の部分は国司で留守にした間に随分変わったというのが、災害の爪痕によって変わったものと解釈できたら、災害の記録と言えます。
結論ありきで論じることはよくありませんが、丁寧に検証すべき歴史は多いと改めて感じました。
山下幸太郎(鹿児島県在住)
2020・1・24 山下幸太郎さん ⇒ 見延典子
「『通義』を取り寄せました」
見延典子様へ
安藤英男の『通議』を取り寄せました。
分かりやすく解説しており、通読に適した書だと思いました。
紹介頂きありがとうございます。
山下幸太郎 (鹿児島県在住)
①原文 ➁書き下し文 ③訳文
④簡単な解説も載っています。
絶版ですが、インターネットでは比較的目にします。価格も千円以内が多く、手頃です。ご参考になさってください。
見延典子
2020・1・18
見延典子 ⇒ 山下幸太郎さん
「まずは安藤英男『通議』」
山下幸太郎さんへ
お尋ねの件、頼山陽の『通議』は出版物が限られています。まずは「安藤英男『通議』(昭和57年近藤出版社)がよいのではと思います。
2020・1・17
山下幸太郎さん「頼山陽『通義』を通読するためのテキストは?」
頼山陽の『通議』について通読できないか模索しています。
「論水利」を読みましたが、頼山陽の政策書という視点で見た場合、興味深い点がいくつかあったので通読してみたらどうなるかと思いました。
通読するのに適した方法やテキスト等があったら教えて頂けませんでしょうか。
よろしくお願いします。
2020・1・11
進藤多万さん「『皆』ですね」⇒ 奥野政昭さん
2020・1・1付、頼山陽の漢詩「過櫻井驛址」中、
「眥(まなじり)」か「皆(みな)」かについて
「皆」ですね。
私は汲古書院の「詩集日本漢詩」第十巻の『山陽詩鈔』を底本にしていますので、確認しました。
進藤多万
2020・1・3 山根兼昭さん「過櫻井驛址」詩文の読みについて
結論的には、見延さんの解説の通りと思いますが、小生吟歴30年の経験の中で気の付いたことを申したいと存じます。参考資料としては、安藤英男著「訳註 頼山陽詩集」・白川書院 他。
この漢詩は、見延典子著「頼山陽と戦争国家」で初めて読みましたが、題名の「過 櫻井驛址」の「過」は「すぐ」、「すぎる」、「よぎる」 の3通りの読み方がみうけられます。頼山陽作「過 廉塾」(れんじゅくによぎる)、「過 有松邨」(ありまつむらをすぐる)、「過 櫻井・・」(・・すぐ)。
「まなじり」か「みな」か。「まなじり」=眥、この字は「阿久嶺」の中にも「眥を決すれば・・」と使っております。本誌の字は下の作りは「白」で、「まなじり」ではなく「みな」の方が詩文の意味にあっているように思います。しかし「此に白」で「みな」と読ませる字は見当たりません。
詩文の跡から3行目、「大澱」-(だいでん)ー(おおよど)か、「澱」=よど、よどみ、どろかす。淀川の意で資料には「だいでん」とあります。
小生は専門家ではありませんので、資料と経験からコメントさせていただきました。
2020・1・1 奥野政昭さん
「『過櫻井驛址』、標準的な読み下し文は?」
新入会員の奥野と申します。これからどうぞ宜しくお願い致します。
一つ御訊ねしたいことがございます。
以前知人から「過櫻井驛址」の漢詩を朗読した録音テープをいただき、それを暗記しておりました。
岩波文庫の『山陽詩抄』を見ると、そこにも読み下し文が載っていましたが、どうもその訓み方が微妙に異なっていることに気がつきました。
私はこの漢詩が大好きで、他の人にも紹介したいのですが、私の暗記したものが間違っていてはいけません。
岩波文庫の方を紹介すればよいかもしれませんが、朗誦した際にどうも文の調子がしっくりしない部分もあり、個人的には知人の訓み方が気に入っています。
私は詩吟について全然知らないのですが、もしかしたら「過櫻井驛址」も詩吟の定番で、標準的な読み下し文があるのでしょうか。もしそういうものがあるのであれば、それをご教示いただけないでしょうか。
参考まで、岩波文庫と知人から教わった読み下し文のpdfファイルをお送りいたします。異なる箇所を赤字で示しております。
どうぞ宜しくお願い申し上げます。
奥野政昭さんへ
お問い合わせの件ですが、「詩吟」とありますので、最初に読み下し文を教えてくださった「知人」は詩吟をされているのでしょうか?
残念ながら、奥野さんと同じく私も詩吟に暗いため、その分野についてのお答えはできませんが、一般論として、漢詩の読み下し文は読み下す人によって違いがあり、正解はないようです。
は漢字の違いになり、正解は1つです。正解を得るには頼山陽が書き残した原文にあたるしかありません。
その点でいえば、岩波文庫『山陽詩抄』には頼山陽の子孫の頼成一が訳注に加わっているので、原文を確認している可能性は高いと思われます。進藤さんも「皆」とされています。
以上、私見を書きました。これをご覧の方でご意見があれば、よろしくお願いいたします。
見延典子
2019・12・25 二川好昭さん「遊戯印について」
朱文の「游戯」印は頼山陽印譜集で確認できます。
白文の「游戯」印はほとんどの人が初見の印影だと思います。
朱文「游戯」頼山陽刻
「山陽印譜巻」頼潔編 1925年
白文「游戯」頼山陽刻
「印印」同風印社 1943年6月
楊龍石・田邊玄々・園田湖城などそうそうたる印人に交じって、白文の「游戯」印が篆刻専門書「印印」に掲載されました。頼山陽が第一級の印人と認められた何よりの証左です。
頼山陽の「若葉マーク」としては思いもよらなかった。
2019・12・22
山下幸太郎さん 🔁 見延典子
「頼山陽と禹王」
見延典子さんへ
『禹王と治水の地域史』(植村善博+治水神・禹王研究会)について書評・案内を著しました(左)。私が頼山陽に関心や疑問を持つようになったのは「禹王」がきっかけといっても過言ではないと思っています。
現時点で史的根拠を基に説明することは不可能ですが…。感想や意見をいただければ幸いです。(一部を省略しています)
山下幸太郎
山下幸太郎さんへ
お問い合わせの件、夏朝の創始者にして、治水の神としても知られる禹王について、頼山陽は文政10年12月25日48歳のとき「題自製禹貢図」を残しています(『頼山陽全書』中『文集』P499)
そこで山陽は「禹貢山水を導く大勢の図(題字) 丁亥臘月望の夜、客散じて酒醒む。更に燈に挑んで、禹貢を読むこと一過。約略して之れを図す」と書いています。
山陽は『史記』を熟読し、同書に書かれた禹の治水事業に心を動かされ、さらに『通義』所蔵の「水利論」を著したようです。
以上『頼山陽の社会経済思想』(徳田進、1971年)を参考にしました。同書にはより詳しく書かれています。ご参考になさって下さい。
見延典子