2023・大晦日
近砂敦さん
貝原益軒著『豊国紀行』を出版」
昨年より暇な時間に取り組んでいました貝原益軒(1630-1714)『豊国紀行』の現代語訳ができたので、出版しました。
『豊国紀行』は、1694年、筑前黒田藩に仕えていた益軒が、藩命により『黒田家譜』編纂に伴う史跡調査を目的で、豊前、豊後を巡って書いた地誌です。
部分的な訳文は出ていますが、全訳は初めての試みです。
B5版 40ページ 特定非営利活動法人中津地方文化研究所発行
2023・12・19
進藤多万さん「『廉塾』のクラウドフアンデイグ」
頼山陽が塾頭を務めた「『廉塾』のクラウドフアンデイグ」を知り、支援しました。
『廉塾』のクラウドフアンデイグ、ホームページより
「廉塾ならびに菅茶山旧宅」は福山市が全国に誇る特別史跡です。
廉塾を未来へ継承し,江戸時代の教育環境などを追体験できる場として活用していくため,老朽化が進む9棟すべての建物の保存修理を進めています。
一人でも多くの方にその魅力を知ってもらい,建物の保存整備にかかる費用(2、000万円)について支援の輪を広げてくためガバメントクラウドファンディングに挑戦中です。詳しくは福山市のホームページへ
2022・5・8 上口雅彦さん
「広島市で本の無償譲渡会 一人50冊」
英語が多いですが、日本語やスペイン語、フランス語、中国語などの本もあります。貴重な本もたくさん。多くの人に活用してほしいです。
2022・3・3
7代襲名襲名30周年記念
漆芸 金城一国斎展
広島を中心に活躍する金城一国斎さんの「7代襲名30周年記念展」
会場 福屋八丁堀本店 7階 美術画廊
会期 2022年3月3日(木) ~9日(水)※最終日は午後4時閉場
2020・10・19
角増正裕さん
資料集「役場を接収された江田島」WEB公開
資料集「役場を接収された江田島」を私のホームページ最下段に掲載してWEB公開しました。オーストラリア軍がWEB公開している江田島関係の写真を多数抽出できたので、
私が所蔵している資料も織り交ぜて整理したものです。資料集「役場を接収された江田島」を私のホームページ最下段に掲載してWEB公開しました。オーストラリア軍がWEB公開している江田島関係の写真を多数抽出できたので、私が所蔵している資料も織り交ぜて整理したものです。江田島の歴史から消えた国による接収と外国軍隊駐留についての研究をまとめた資料集になっています。
ホームページのURL(最下段に資料集を掲載)
http://etajima.music.coocan.jp
資料集の中から私が気に入っているオーストラリア軍が公開している小用港で赤ちゃんを抱いた女性の写真を紹介させていただきます。右下の整理番号を「AUSTRARIAN WAR MEMORIAL」の検索で入力するとこの写真がヒットします。いろいろな検索ワードや整理番号の前後を探索して江田島関係の写真を抽出しました。
山陽が宿泊した旅館泉屋は、富岡の大火で消失し、その跡に「頼山陽先生宿泊之跡」の碑が建てられていた。頼山陽らの立像が富岡城二の丸広場に、建立され苓北の地を見守っていた。それらの史跡を訪ねることができたのは、平成三十年十一月二十九日であった。頼山陽公園の詩碑にいたく感動し、天草洋に沈む大きな夕陽に立ち尽くした。
2020・8・1
髙山一雄さん
「天草で五言律詩を作りました」
現在、天草は僻遠の地である。頼山陽の「泊天草洋」の詩碑が、天草洋に面して建てられていた。碑文字は山陽の自筆である。
2枚の写真も髙山さんの撮影による。
天草󠄂尋󠄃訪山陽外史詩碑
苓󠄂州佳氣滿 不厭客途󠄃長
靜望󠄄雲仙嶽 高吟天草󠄂洋
詩文奇筆力 聲譽歷星霜
積水連󠄃呉越 暉暉麗夕陽
2020・6・12
堀尾哲朗さん『頼山陽を思う一孟子評点、獺祭、遼豕録』
『白島を思う』『頼山陽を思う』『通義を読む』についで、4冊目の『頼山陽を思う一孟子評点、獺祭、遼豕録」(305ページ、非売品)を出しました。
2020・5・24
宮郷彰通さん
「宮島杓子 カ一プ、サンフレッチェの優勝サイン入り本」出版
カ一プ、サンフレッチェの優勝の都度、選手の皆さんがサインをしてくれた宮島杓子。相当数あるので、一冊にまとめました。
なつかしい選手のサインもあります。ぜひご覧下さい。
73ページ、2200円(税別)
発行所 株式会社 杓子の家
☎0829(44)0084
もう一つは竹原頼山陽顕彰会(竹鶴壽夫会長)の会報「吾家昔日読書山」23号、4ページ(右)いずれも会員になると郵送してもらえる。
公益財団法人頼山陽記念文化財団
☎ 082(542)7022
竹原頼山陽顕彰会
☎ 0846(29)0751
2020・4・15
頼山陽関連団体の会報2種発行
頼山陽関連団体の会報が2種、3月31日付で発行された。
一つは公益財団法人頼山陽記念文化財団(橋本宗利会長)の会報「雲か山か」115号、8ページ(左)
中津市萱津町の倉庫に並べられた唐獅子や龍など豪華な装飾が施された米町の祇園車の部材。(文、写真とも西日本新聞より)
2019・11・7
近砂敦さん「中津市米町の祇園車を文化財に復元するプロジェクト」
仲間とはじめた「遊び」が、西日本新聞で紹介されました。
600年の伝統を誇る中津市の中津祇園(県指定無形民俗文化財)に40年近く参加していない米町の祇園車を文化財として復元するプロジェクトが、祇園有志によって始まった。ただ屋根などの部材が散逸し漆も一部はげていることから、復元には約1千万円かかる見込み。関係者は「市民への募金活動なども行い、3年をめどに往時の姿に戻し、祭りにも参加させたい」と意気込んでいる。
中津祇園は15世紀前半に始まった下小路浦(現在の下正路町、角木町、龍王町など海岸沿いの地域)の村祭りが起源と伝わる。明治、大正期の製糸・紡績業の興隆による中津経済の発展とともに規模が拡大し、昭和初期までは博多祇園山笠(福岡市)と小倉祇園(北九州市)と並び「九州三大祇園」と称された。
米町総代の研俊勝さん(76)などによると、初代の車は1783年に建造され、1910年に大改修されたという。唐獅子や龍の彫り物と螺鈿(らでん)細工の柱などその豪華さで有名だった米町だったが、少子高齢化で83年を最後に出していなかった。貴重な車が米町に眠っていることを知った祇園有志らでつくるNPO法人中津地方文化研究所が「このまま朽ち果てるのはしのびない」と支援を買ってでた。
3日、米町に近い萱津町にある倉庫へ運び出し、点検すると、屋根や車輪など重要部品がなくなっていることが判明。副所長の近砂敦さん(66)は「米町の特長である豪華な彫り物や螺鈿細工、欄間などは往時のままだった。復元は可能だ」と胸をなで下ろす。研さんは「わが町の祇園車が中津の町を走る姿がまた見られるとは思わなかった。夢のようだ」と感謝した。
同研究所では協賛金を募る。1口5千円(何口でも可)、第1期は12月31日まで。(吉川文敬)
2019・10・20
米山俊哉さん
『影の宰相小早川隆景』を出版➁
「梅庵」という呼称で、当ホ一ムページではお馴染みの米山俊哉さん
おやおや、ご本の表紙が変更になったようで。
2019・10・18
米山俊哉さん
『影の宰相小早川隆景』を出版
10月24日、毛利元就の三男で、広島・三原の領主として知られる小早川隆景の生涯と活躍を描く歴史ノンフィクション。『影の宰相小早川隆景』(南々社)を出版します。
前半では隆景の生涯を振り返り、秀吉から「日本一の賢人」と言われるなど、高く評価された理由を探る。後半は、毛利氏と織田信長の戦争から本能寺の変につながる過程を描き、「小早川隆景が本能寺の変を動かした」という説を提起。
本能寺の変は明智光秀が突発的に起こし、その仇を討った豊臣秀吉はヒーローとなった」という通説を覆すような、戦国史に一石を投じる一冊。
米山 俊哉(よねやま としや)
広島市生まれ、修道高校、大阪大学人間科学部卒業後、株式会社リクルート入社、広島市に2009年Uターン、
広島大学大学院社会科学研究科マネジメント専攻博士課程前期修了。
歴史資源を生かした地域振興に携わり、米作りにも挑戦中。
「梅庵」として本ホ一ムページでもおなじみ。
お問い合わせは 南々社 info@nannanbook.com ☎082-261-8243