2025年(令和7)は頼三樹三郎生誕200年にあたります。
この物語は、三樹三郎が青春を過ごした蝦夷地での日々から始まります。
連載小説
はるかなる蝦夷地
―頼三樹三郎、齊藤佐治馬、松浦武四郎の幕末
見延典子
主な登場人物
頼三樹三郎(22才)は頼山陽の3男
齊藤佐治馬は江差の町年寄(27才)
松浦武四郎(29才)は後に「北海道」の名付け親となる
齊藤佐佐馬五郎(14才)は佐治馬の弟
齊藤佐八郎は佐治馬、佐馬五郎の父で、隠居している。
あらすじ 1846年(弘化3)9月末、蝦夷地に渡った頼三樹三郎は、江差の商家で、町年寄をつとめる齊藤家の食客となった。同室には蝦夷地を探検している松浦武四郎がいるが、彼の言動には不可解な点が多い。
2024・1・10
はるかなる蝦夷地 第21回
「それにしてもよう降るな」
独り言のように呟きながら、三樹三郎は雪を掻く手をとめて天を仰ぐ。雪は三樹三郎をめがけ、一心不乱に降ってくる。海に近いせいか水分を吸った雪が顔をたたきつける。
雪が降り続く日々は行動が制約される。といって何もせず過ごすわけ
にはいかない。三樹三郎は齊藤家の食客であれば、できることはしなくてはならない。そこで雪掻きが日課になった。齊藤家には下男もいて、本来雪掻きは彼らの仕事ではあるが、降り積もる雪の量があまりにも多いため、できる者がするという状態になるのだ。
蓑を着て、蓑笠をかぶり、手には藁製の手袋を履き、足にも足をすっぽり覆うような藁製の履き物をはいて、現在の雪掻き道具に近い除雪道具を使う。「雪かきすき」「こすぎ」ともよばれ。三尺(約90㎝)ほどの柄の先についている板に雪を載せ、掻いていく。
手や足はかじかみ、感覚がなくなっていく。半刻ほど作業するだけで、全身からは汗が吹きだす。なんとか屋敷前がきれいになったとしても、翌日には雪が降り、その繰り返しであった。この地で暮して行くには体力、根気が必要であることを思い知らされる。
気がつけば、佐馬五郎もいっしょに雪掻きをしている。幼い頃からよく手伝いをしているとみえ、雪を掻く動作、特に腰の入れ方など堂に入っている。それでも軒下から下がる氷柱をとったり、雪だるまをつくったり、かまくらをほったり、子供らしさも残っている。
雪掻きを終え、熱い茶を飲み、供される餅など食べたあとは、心地よい疲労とともに、詩作への創作欲がみなぎるのを感じる。今回の蝦夷地での滞在中、できるだけ多くの漢詩を詠み、詩人として飛躍したい。
その日も、頭の中に浮かんでくる文字を紙に書きつけていく。言葉が浮かんでは消え、別の組み合わせが生まれ、また自分で作り出した語句と思ったものが亡父山陽の詩の一節と気づくこともある。亡父の漢詩は繰り返し朗詠してきたからだ。亡父のことを考えると、自然に母梨影の面影が浮かんできた。
「京都の母上はどのようにお過ごしなのやろうか・・・・・・」