2020・5・23
久保寺さん
「『頼山陽と戦争国家』感想」
正直、頼山陽に関する知識があまりない私には難しく、やっと読み終わりました。その中で印象に残ったところを二点ほど書きます。
まず、意外だったのが頼山陽(日本外史)に対する批判が少なからずあったこと。曰く「新井白石の文を漢文にしただけ」、「内容に間違いが多い」、「文が良くない」などなど。昭和初めには神格化されていたんじゃないかと思っていただけに意外でした。
もう一つが玉音放送を聞いた時のお父様(見延隆志氏)の文章。その当時の情景や空気感まで手に取るように伝わりますね。見延先生は、お父様の血を受け継がれているのがよくわかりました。それにしても、反体制側の立場にいたはずの頼山陽を都合のいい部分だけ取り込み利用していた事実はこの著書により明らかですね。
今後、私も含めて頼山陽に対する理解が深まることを期待します。
2020・4・14
中国新聞に
『頼山陽と戦争国家』の広告
中国新聞(4月12日付)一面下に広告が打たれた。
隣はお馴染み梅庵(米山俊哉)さんの「小早川隆景』
本ホームページでもお取り扱いいたしております。
2020・3・23 中国新聞に紹介記事
3月22日付中国新聞に『頼山陽と戦争国家』の紹介記事が掲載された。
2020・2・11 「建国記念日」と「建国記念の日」
あるとき、講演で日本の建国の話をしたところ、聴講者から「あなたは編国記念日といったが、正しくは建国記念の日だ」と指摘された。
2月11日は戦前には「紀元節」と呼ばれていた。初代神武天皇の即位日が紀元前660年1月1日とされ、明治に入って太陽暦が導入された後、換算して2月11日になったのである。
敗戦後、GHQによって「紀元節」は廃止されたものの、復古の動きが高まり、幾多の議論の末、1966年(昭和41)、2月11日を「建国記念の日」として国民の祝日と定める祝日法改正案が成立した。
「建国記念日」としなかったのは、一方では戦前への回帰を懸念する意見が強かったこと、またそもそも神武天皇は実在せず、従って建国の日が確定しないことなどの理由からである。
「建国記念日」に「の」を入れ「建国記念の日」とすることにより、建国自体を祝うというニュアンスを出そうという苦肉の策であった。いわば玉虫色の決着であろう。
以上のように、ややこしい経緯があるためか、メディアは「建国記念の日」を正面から扱おうとしない。国民もまたなぜ2月11日が国民の祝日になっているか考えることもなく、なんとなくこの日を過ごすのである。
2020・1・31 「ウエンデイ広島」(2月号)で紹介
『頼山陽と戦争国家』が「ウエンデイ広島」(2月号)で紹介された。
2020・1・8
トランプ米国大統領の
「戦争を止めるための行動だ」発言
「戦争を止めるための行動だ」とは、1月4日、イラン革命防衛隊のソレイマニ司令官を殺害したあとの、トランプ米国大統領の発言。
今から約100年前、第一次世界大戦時にも「すべての戦争を終わらせるための戦争」という言葉が流布していたそうで、日本でもその後「平和のための戦争」という言葉が用いられた。
この種の発言をする為政者は信用できないし、危険である。それは過去の歴史が証明している。
どんなふうに戦争がはじまり、拡大し、引き返せない道を歩むことになるか、拙著『頼山陽と戦争国家』を書いてわかった。
2020・1・7
会員さん「『頼山陽と戦争国家』を購入したい」 🔁 事務局
見延先生の「頼山陽と戦争国家」を購入したいのですが、どのようにすればいいのでしょうか。
会員さんへ
「頼山陽ネットワ一ク」にお申込みいただくと「1冊2970円(税込)サイン、落款入り、送料無料」でお求めいただけます。郵送時に振り込み口座を書いた紙を同封します。よろしくお願いいたします。
頼山陽ネットワーク事務局
2019・12・26
北海道新聞にインタビュー記事
12月26日付北海道新聞(夕刊)文化欄に『頼山陽と戦争国家』についてのインタビュー記事が掲載された。
2019・12・19
nakaさん「『未知との遭遇』な一冊』」
「頼山陽と戦争国家」拝読いたしました!と言いたいのですが、未熟者の私にはまだ早かったようです。
「頼山陽」に関する知識もなく、日本史にも特段の思い入れもない人間なのでまさに「未知との遭遇」な一冊でありました。
「はじめに」にあった講演会の話!
冷めることなくずっと頼山陽を追っている見延先生、
人前であろうとしっかり主張するご老人!
ベクトルの向きは違えどもお二人とも「頼山陽」にぞっこんで素敵!
お二人につられてちょっこし「頼山陽」への興味がわいてきました(笑)
今回はざざっと文字を眺めただけですが、広島(呉)に軍港を作ったのは「呉の水が美味しく保存に適している」なんて話を聞いたコトがありますが、それよりも「頼山陽」が影響してたのでは?と考えを改めました。
見延先生・頼山陽とのご縁が生まれた令和元年 手にする本が広がった一年でした。ガッツリ読めたのは「汚名」だけなので、ゆっくり拝読していきますね
(ご投稿の一部を省略しました)
2019・12・2 グランマさん「恐るべし徳富蘇峰」
衝撃的な題名ですが、私は二つの課題を持って読み進めました。
頼山陽の歴史観がどのように利用されたのか。そして、広島の比治山多聞院(頼家の墓所がある)の上手に建つ頼山陽文徳殿について。
『日本外史』を通しての頼山陽は、明治から大正、昭和の時代にまさに標題のごとく、国家に「生かじり」された印象で、心がざわつきます。
多くの文献をひもとかれ、頼山陽没後の様々な評価をわかりやすく著していただき、引き込まれるように読みました。
それにしても・・・ 私見ですが、恐るべし徳富蘇峰です。
(彼のでっち上げで、頼山陽が国家と結びついた? 尊王、国体に利用された?・・・「生かじり」の始まりだったでしょうか?)
広島の儒者の家に育った頼山陽、そして明治以降軍都になった広島、偶然ではない歴史を見る思いです。見延先生のエネルギーに感謝です。