見延典子が書いています。
2020・5・16
札幌の佐々木さん 🔁 見延典子
「『私のルーツ』井川兼吉氏が…」
見延典子様
こんにちは。以前、「私のルーツ」をお譲りいただいた札幌市在住の佐々木と申します。
先日、札幌市北区屯田に所在する江南神社を参拝したところ、寄付人として「井川兼吉氏」の名が刻まれた狛犬を見つけました。(上と左の写真)
対に設置された狛犬を見ると
「移住三十年記念」(下の写真)
「大正八年七月建設」(左の写真)
と刻まれておりました。
画像を添付いたします。
また神社の鳥居そばに設置された石碑には、「井川春美氏」の名が刻まれておりました。(左下の写真)
文字が薄れて見にくいかと思いますが、こちらも画像を添付いたします。
江南神社ホームページ
ともに「私のルーツ」164、165ページの家系図で拝見したお名前でしたので、ご連絡さしあげました。
札幌の佐々木さんへ
嬉しいご連絡をいただき、ありがとうございます。
ご指摘のように「井川兼吉」は私の母方の曽祖父「井川宇八、改名後は中山茂三郎」の実弟です。「井川春美」は兼吉の次男で、春美の子が今もなお井川家が屯田兵として入植し、開墾した場所(江南神社の徒歩圏内)で暮らしています。
「私のルーツ」を書く際、江南神社も訪ねましたが、狛犬は見落としました。ご親切にも教えてくださり、心より御礼申し上げます。
余談ですが、篠路兵村はその他の兵村に比べ、土地が悪く、離村者を多数出しました。台座に並んているその他の方のお名前は、屯田兵名簿で見たことのあるもので、皆さん、石にすがりつくような思いでこの地に残ったのだろうと推測します。
(井川家と同じく、明治22年に徳島から屯田兵として入植した木内家のお名前は残念ながら台座に見つけることができませんでした。おそらく大正8年以前に、篠路兵村を離れたのではないでしょうか)
この話はさっそく老母に知らせます。喜んでくれると思います。
また何かございましたら、よろしくお願いします。
見延典子
2020・5・9
北海道新聞に「長濱萬蔵翁像」
4月10日付北海道新聞の「さっぽ10区」で、札幌市白石区にある本郷商店街」がとりあげられ、同商店街をつくることに尽力した長濱萬蔵が紹介された。長濱萬蔵は11人の地主と無償に近い形で農地を市民に解放。本郷商店街の礎を築いた。その功績をたたえ、毎年8月「萬蔵まつり」が開催されている。
※長濱萬蔵は見延典子の
母方の大伯父にあたる。
2020・5・7
プラウ
小説を送ると、電話で感想をいってくれる老母の口から、聞きなれない単語が飛び出した。「プラウ」。馬に引かせ、種まきや苗の植え付けに備えて土壌を耕起する農具という。見たことはあるが、「プラウ」という名称とは知らなかった。
母の父、つまり私の祖父は、プラウを引く馬を見て「馬の力はすごいな」と感心していたという。母の記憶から引き出された映像を思い浮かべながら、また長話。
2020・4・16
女下駄
ヒマなんで、読者は91歳の老母だけという連載小説(週1回、全10回)を書いて、送っている。内容は、老母の祖母、私の曽祖母おサトさんの一代記。札幌の老母は11か12歳ころ、おサトさんから下駄を贈られたというので、ネットに出ている下駄の写真数枚を送ってみた。
しばらくして電話があり、上の写真に近いけれど、「表も側面もヤシの皮が貼られた、それは、それは高級そうな下駄だった」とのこと。「ヤシの皮? なに、それ」と、下駄をネタに、しばし老母と会話。
2020・3・17
ヒマなんで…
ヒマなんで小説を書くことに。読者は老母だけ。一話目を送ると、電話をくれ、感想をいってくれる。気をよくして、連載にすることに。
気になるのは、右隣に置かれた『樺太地上戦』(NHKスペシャル取材班、KADOKAWA、2019)
2019・12・21
樺太地上戦
街中の本屋に立ち寄ると、拙著『頼山陽と戦争国家』が一冊だけ置かれている。他は売れたのか。売れ行き好調ということにしておこう(笑)
『私のル一ツ』にも書いたように、曽祖父一家は終戦後も、樺太の「恵須取(エストル)で暮らしていた。地上戦といえば沖縄が知られるが、樺太の悲劇はほとんど知られていない。子孫として書き残したい。
2019・8・14
今年も「萬蔵祭」
今年も8月3日、4日、札幌市白石区にある本郷通商店街で「萬蔵祭(まんぞうまつり・本郷通商店街振興組合主催)が開かれた。
『私のル一ツ』にも書いたように「萬蔵祭」は私の母方の祖父の兄「長濱萬蔵」(左の写真)に由来すしている。
本郷通商店街振興組合のホームページには大叔父の長濱萬蔵(長浜万蔵)が「萬蔵さん」として紹介されている。この「萬蔵さん」という呼び方は、私が幼い頃から耳に馴染んだものである。
本郷商店街誕生の功労者「長浜万蔵」など当時の地主さん達が区画整備を札幌市に依頼。それを契機に整備が始まり、当時の地主さんたちの土地も含め120万坪(札幌ドーム約77個分)の土地に主要幹線道路や小学校、中学校、住宅地、公園などが設置され、南郷と本通りの中間であることから「本郷」と名付けられました。
本郷商店街は、1956年(昭和31年)に創設され、万蔵さんら地主さん達は「この商店街の入居希望者は、必ず店舗を持つこと」とし、店を初める人には土地を優先的に貸与するなどの優遇措置があり、6丁目から10丁目までの約1000メートルの通りにわずか2〜3年で当時約200店あまりの商店が立ち並びました。そのため、本郷商店街は住宅街のないところに先に商店街が出来上がったユニークな商店街になりました。
本郷通り8丁目に設置された銅像は、商店街誕生の功労者「長浜万蔵」さんの銅像で、本郷商店街振興組合発足の翌年、1965年(昭和40年)に建立されました。その万蔵さんの名前にちなんで、昭和62年からスタートしたのが、本郷夏祭り「萬蔵祭」で、毎年8月に開催される萬蔵祭には、地域の方はもとより札幌全域から大勢の人に訪れて頂けるまでの有数のお祭りにまで成長しました。
※写真、紹介文は本郷通商店街振興組合のホームページから抜粋、引用しました。
2019・8・12
老母の従姉妹からの手紙
会ったこともない大伯父の娘から、突然手紙をもらう。正確には、私の母方の祖母の兄(大伯父)の長女。老母の従姉妹にあたる。84歳。
長文の手記が同封されている。
『私のル一ツ』に書いたように、私の母方の祖母一家は屯田兵として兵役を終えると、当時、日本の領土であった南樺太に移住した。
その中で唯一満州に渡ったのが大伯父一家。豊かに思えた生活は長く続かず、敗戦と同時に引き揚げが始まる。同封の手記には、10歳だった老母の従姉妹が体験した地獄の日々が綴られている。
『私のル一ツ』を書きながら、大叔父一家がどのように生きたのか気になっていた。それが判明して胸のつかえがとれたとともに、新たに書き残しておくべき宿題を与えられたような気持ちになる。
「私のルーツ」ご購入方法 本ホームページのメールから「お名前とご住所、冊数」を書いてお申込みされた方に限り、著者サイン、落款入り本をお届けします。