石村良子代表のブログです。
2020・10・24
見延典子「ありますよ」
石村代表のブログにお邪魔します。
広島県の「GOTOEat」なら、昨日販売が開始。一冊8千円で1万円分、一人2冊まで。75万冊発行なので、そうそう売り切れないはず。
私も購入しました(笑)
2020・10・24
完売
10月20日発売の「食べてクレチケット」。10000円で13000円分使える
応援のつもりで買いに出かけたが、
3日目の今日は張り紙のみ。呉信用金庫本店分7000冊が2日で完売とか
2020・10・22
講談師 頼山陽
前ブログ同じく坂本蓑山「頼山陽」教育法の項では、山陽「酔余、戯れに日本外史を講ずる事ある時は,手拭いをもって額を縛り、手に塵を拂う采配を把り、且説き、且拂う事、あたかも,講談師の軍配を演ずるに似たるさまであった」とある。
頼山陽は日本外史を書く時は、名文「項羽本紀」を朗読し余韻あるうちに取り掛かったという、「力山を抜き気世を蓋ふ 時利あらず騅逝かず 騅の逝かざる奈何すべき 虞や虞や若を奈何せん 」四面楚歌一節は私でさえ覚えているぐらいだから名調子なんだと思う。山陽も川越後陣の戦いは夜に定めたと平塚瓢斎への手紙に書いている。名文もベストセラーも見たように書くのが伝える手なら 箕山の講談師山陽の話もありの気がしてきた。
目玉は 市長の花、何流とかでなく感性で活けられたそうで、これは文化に対する応援歌であると感じた。
入船山で文化事業を出来るようにしてくださったのも新原市長で 私たちも2年前許可第一号の茶会をさせていただいている。
2020・10・4
呉市長の花
秋晴れの中 コロナ下ではあるが 十分な感染対策もとられ 広島県呉市の入船山記念館、やまとミュージアムで「ひろしまはなのわ2020」生け花譚が開催され、市民に感動と癒しを与えてくれた。
市長は「入船山記念館に花を活けてあると建物も生き生きして見え、花も建物によって引き立って見える」と感想をもらされた。市長自ら花を活け飾ってみての実感と 文化に携わるものとして嬉しく心強い。
2020・10・1
デジタル化と頼桃三郎先生
頼山陽ネットワークの進藤多万さんより、又、紙(唐紙)をいただく。
桃三郎先生が旅行で求められたものか貴重な品で、折に触れ茶会に飾って皆さんに喜んでもらっている。
将来万一広島に山陽顕彰の復活の議が起こるような場合、私は、その線においてだけ事がすすめられるよう希望する、彼をめぐるすべての資料が整理され、研究者に提供される山陽研究所であってほしいと思う」としておられる。
先生は多万さんの父君で、随筆集を読むと大変ユーモアたっぷりの方である。その中「詩人の手紙」の一節に「戦後,史家の山陽評価は、彼の進歩的役割を認め,外史の歴史小説としての抜群の面白さを認め、歴史家としての資料処理の不正確とか、史観の限界とかについても、ほぼ妥当な位置づけがなされている。
現在頼山陽史跡史料館において 杉の木文書、他の文書の整理が進められている。私は、その先に全ての文書のデジタル化公開を進めてほしいと思う。
古文書を解読するには時間がかかる、背景も知る必要がある、古文書を見てこそわかる事も多々あった、解読には、近場の人だけでは限界があると感じる。
会場のクリアトーレウイズプラス
人が集まることは理屈抜きに楽しい 皆の笑顔がうれしい
いつも楽しい見延典子先生の講話
2020・9・21
厄除け重陽サロン
9月5日 重陽のサロンを開催した 昨日で2週間目
何事もなくホッとしている
先の戦争の時 花を習いに行き帰りに花の包みを持っていると知らない人に突然袂を切られたというような話も聞いた
事は違えど安心して文化活動ができる日まで休まず そろそろまいります
2020年1月にオープンした英国の高級車ロールスロイスを中心に集めた車の博物館の2階 英国車をはじめ世界のミニカー約千台を並べるコーナーもある
船から上陸する京都一力亭のおかみさん、芸子、舞子さんたち、聿庵もこの浜を上がったのか
2020・7・10
頼聿庵ゆかりの三谷春、
レストラン開業
呉市倉橋町に三谷春林酒造によるレストランが開業した。
1階には三谷春の酒瓶の揮毫をしたときの屏風が、堂々まさに所を得ている。
贅沢な海の幸の数々、昼は2.~3000円より 11魏から3時まで、休日水曜日
2020・6・25
中村真一郎の山陽観
現在「山陽先生書後並題跋」を読んでいる。茶に関係ある25あまりを現代語訳して冊子にまとめ弟子に配った。
中村真一郎も「頼山陽とその時代」最後に書後題跋についてのべ「この
アンシクロペディスト 的な教養と趣味。そして多くの性格的欠点を有し、やり直すことのできない人生に、多くの致命的失敗を演じて、生涯を悔恨の堆積たらしめ、しかも執拗な神経障害のために、たえず躁と鬱との状態を繰り返して、感情の平衡を保つことのできなかった人物。その病状のために時に、感覚の粗大と鈍感さを免れなかった人物。しかしまた極度の自己中心主義に依って、結局は己の欲するままの生活を貫き通した人物。知性の快楽と官能の快楽とを同時に追い求めて飽きなかった人物。そうした錯綜した人格、頼山陽を長年の追尋の後に、私は遂に懐かしく思うようになって来つつある」と書き本書を締めくくっている。私も山陽の骨董癖について、ここまでするかという情熱を羨ましく思う。