2020・8・21 赤松昇さん(姫路市在住)
「『易経』が頼山陽に与えた影響とは」最終回
※仁寿山校の白鹿洞書院掲示は明治維新後、競売にかけられ、亀山雲平先生が詠まれた長谷川君父子瘞髪之碑に変わっていますが、双龍はそのまま残っています。その龍にも雲が描かれています。写真からデジタル処理をして再現しました。ご覧ください。
龍(陽)+雲(陰)=恵みの雨
碑の写真からデジタル処理をしています。
はっきりと雲が彫られています。
頼山陽は河合寸翁の娘婿の河合屏山に、経書は大義大局を掴む事と仁寿山校でアドバイスをしており、幼少期から物事の正当性の判断とマクロ的に要点を掴むことに長けていたと考えます。
以上のことから、頼山陽は、大学の天下国家を治める君主・宰相の学問から入り、仁に基づく君子の道と、真の人間の生き方の論語を学びました。そして、君子が学ぶ究極の学問、つまり、自然哲学、変化の書、及び「生」の学問を学ぶことによって、気付いたのではないでしょうか。それは、人間とは何か、学問とは何の為にするのかを自覚し、決心し、志を立てることが重要であることに気付いたのではないでしょうか。私はこのように考察しています。
◆汝、草木と同じく朽ちんと欲するか
頼山陽は、この言葉を高らかに唱えて、わが身を励ましたそうです。
参考文献(引用部分は記載)
1. 「頼山陽選集 1 頼山陽伝」 安藤 英男 編 ㈱近藤出版社 1982年
引用 p.40-p.41 立志論(抄)、
p.41-p42 癸(きち)丑(ゆう)歳(のとし) 偶作 [述懐(立志詩)]
p.39 汝、草木と同じく朽(く)ちんと欲するか
2.「人生を創る言葉 古今東西の偉人たちが残した94の名言」
渡部昇一 著 致知出版社 2005年」
3.「易学入門」安岡正篤 著 明徳出版社 1960年
4. 「全釈 易経 上」 黒岩重人 著 藤原書店 2013年
引用 p.49 彖辞のみ、p.50-p.53 爻辞のみ
5.「リーダーの易経 「兆し」を察知する力をきたえる」
竹村亞希子著 ㈱ KADOKAWA 2014年
6.「頼山陽選集2 頼山陽詩集」安藤英男編者 近藤出版社 1982年
辛卯仲冬、仁寿山黌を過ぐ。時に白水大夫、東邸に在り。令郎子魚、寮中
に居る。此れを作り子魚に呈して、兼て大夫に寄す。
2020・8・19 赤松昇さん(姫路市在住)
「『易経』が頼山陽に与えた影響とは」➃
更に簡略化して纏めますと、この様になります。乾為天の龍の帝王の物語を下から見ていくと、六つある爻の一番下が、頼山陽の十二歳の時と見ます。つまり、龍は田の下に潜んでおり、志を立てて実力をつける時です。そして、五爻(下から五番目)の飛龍の大成に至るまで、何を行わなければならないかが書いてあります。頼山陽はこの乾為天の教えをよく理解したと考えます。
龍は君主・皇帝のシンボルで、龍を君主に見立てて君主の歩む道を説いています。そして、龍は剛健で強いシンボルです。しかし、龍独りでは、力は発揮できません。そうです、龍(陽)は雨雲(陰)を呼び、恵みの雨を降らせ、万物を育成させます。龍(陽)と雨雲(陰)は一体なのです。これを君主に例えると、剛健すぎると行き過ぎて傲慢になります。よって、陰の徳である、柔順謙虚であることが大事になってきます。ですので、用九があり、64卦全ての陽爻の使い方が記してあるのです。
2020・8・17 赤松昇さん(姫路市在住)
「『易経』が頼山陽に与えた影響とは」③
頼山陽は、我々人間は刻々と変化する時間の中で生きている、人間にとって学を治めるには時間がない、この世で大成するには、まず、志を立てて早く踏み出したい、そして、公に尽くし、国の為に尽くしたいと自覚し、決心したのではないかと考えます
そして、『易経』は乾為天と、坤為地を理解できれば、大半を理解できたことになるとも云われています。その一番目の乾為天は「龍による帝王学の物語」となっています。乾為天は天であり積極果敢に活動する大元気で、万物を発生させ、育成させる卦です。次に、彖辞と爻辞の内容を見ていきたいと思います。
彖辞 乾は、元いに亨る、貞しきに利し。
(彖辞 卦の意義・性質を説明し、吉凶悔吝を断定する言葉)
乾は、大いに事が運び、うまく叶う。正しい事を固く守ること。
爻辞
(爻の意義・性質を説明し、吉凶悔吝を断定する言葉)
※爻の表示は算木と同じようにしています。
用九、 羣龍を見るに首无し。吉なり。
六つの陽爻の龍は首を雲で隠して現わさない。従順・謙遜であれば吉である。
※用九:六十四卦全ての九爻(陽爻)の用い方が示されている。
上九、 亢龍なり。悔いあり。
昇りつめた龍。頂点を極めた時。自ら後退する。
九五、 飛龍、天にあり。大人を見るに利し。
天空を飛ぶ龍。運気盛大で能力を発揮できる時。志を達成したが驕り高ぶ
らず、衰退に対処すること。
リーダーの人材育成を行う時。
九四、 或いは躍らんとして淵に在り。咎无し。
龍が天に飛翔しようとする時であるがその時では無い。慎重に進めば禍は
無い。
九三、 君子、終日乾乾し、夕まで惕若たり、厲うけれども咎无し。
猛烈に活動する龍。一生懸命に努力研鑽する時。果敢に活動し、内省す
ること。
九二、 見龍、田に在り。大人を見るに利し。
地上に姿を見せた龍。大人(九五・指導者)に出会い、学ぶこと。基礎をつ
くる時期。
初九、 潜龍なり、用うること勿れ。
地に潜む龍。志を立てる時期。時期尚早、力量不足、実力涵養の時。
※初九と九二が「地」、九三と九四が「人」、九五と上九が「天」の位置づけと
なります。
2020・8・15 赤松昇さん(姫路市在住)
「『易経』が頼山陽に与えた影響とは」➁
『易経』は占いと人倫道徳を包含し、自然摂理と自然哲学を教えている経書です。『易経』は変化の書であり、「生」の学問です。現代人は『易経』と言えば、占いと思う人が多く、また、インターネット検索をすると占いの内容で満ち溢れています。いつの間に、日本人は占いばかりに興味を持つようになってしまったのか、本当に残念でしかたありません。『易経』は簡単に云いますと、64卦、つまり64の自然から学んだ物語と君子への教えで構成されています。また、『易経』はストーリー付けされた順序(序卦伝)で配置されています。1番目の乾為天 (天)と2番目の坤為地 (地)が交流して3番目の水雷屯 (万物発生)となり、~中略、63番目は水火既済 (完成)、そして、最後の64番目は火水未済 (未完成)となり、誕生から完成、完成から未完成となり、新たなるスタートとなります。そして、永久に循環していきます。
そして、易には三義と六義が有ります。
◆易の三義と六義
①易簡(分かり易い) 自然摂理はシンプルです。
②変易(変わる)例)1年の季節は刻々と変わります。
③不易(不変) 例)次の年も変わらぬ四季は来ます。
④神秘的です。
⑤創造・発展(天地万物の創造・進化)します。
⑥治めます。(自然現象を観て、人間の道を治めます。)
①~③ 三義 ①~⑥ 六義
続きます。
2020・8・14 赤松昇さん(姫路市在住)
「『易経』が頼山陽に与えた影響とは」①
先日、渡部昇一先生の著書「人生を創る言葉」の中に、頼山陽の言葉が載っており、その説明文章の中に、頼山陽が『易経』を読み終えて、立志論を書いたと書かれていました。その内容を、私なりに考察することにいたしました。
※長文につき、分割して掲載します。参考文献は最終回に掲載します(事務局)
頼山陽は12歳(以下全て数え年)で『易経』を読み終えて、「立志論」を書きました。そして、14歳で「述懐(立志詩)」を作りました。その漢詩が、学界の重鎮で昌平黌教授、柴野栗山の目に留まり、高く評価され、父、春水を通して、詩より歴史を学ぶようにと、『通鑑綱目』(朱熹の撰と云われる史書)を薦められました。そして、彼はこのアドバイスを受け、『通鑑綱目』から勉強を始めるのでした。この学びが彼の見識と史観を高める事となり、彼のデビューのきっかけをつくる出来事となりました。
私は、この頼山陽の話を知り、12歳で、このようなことができるのは天才であると思いました。彼の決意としての立志論を書かせ、立志詩を作らせたのは『易経』が大きくかかわっているのではないかと考えています。 その『易経』の教えは何だったのか、私なり考察をしたいと思います。
先ず、頼山陽が幼少期に読んだ書物を、順を追って確認したいと思います。7歳の時には四書の大学の素読を始めています。大学は、君主や宰相として天下を導く者が治める学門で、修身、斉家、治国、平天下の政治哲学と学問を結び付けた大人の学です。次に、10歳の時、読んだのが四書の論語です。論語は孔子の言行録で、仁に基づく君子の道と、真の人間の生き方を説いた書物です。そして、12歳の4月に経書の筆頭である『易経』を修了しています。
(続きます)
参考
頼山陽「立志論」(抄)
男児、学ばざれば則ちやむ。学ばば則ち、まさに群を越ゆべし。
今日の天下は、なお古昔(こせき)の天下のごときなり。今日の民は、なお古昔の民のごときなり。
天下と民と、古(いにしえ)の今に異ならず。而して、これを治(おさ)むる所以の、今の古に及ばざるものは何ぞや。
国、勢いを異にするか。人、情を異にするか。志ある人のなければなり。
庸俗(ようぞく)の人は 情勢に溺れて、而して自ら知らず。上下(しょうか)となく一なり。これ深く議するに足らず。
独り吾が党(儒学の徒)、その古帝王(堯・舜など聖天子)の天下の民を治むるの術を伝うるものにあらざるか。……
吾れ東海千載(せんざい)の下(もと)に生まれたりと雖も、生まれて幸に男児たり。
また儒生たり。いずくんぞ奮発して志を立て、以て国恩に答え、以て父母の名を顕わさざるべけんや。
……古の賢聖・豪傑の成すところ、吾れもまた、ちかかるべきのみ。たれか我が言の狂を言わん。
吾れ生まれて十有二年なり、父母の教(おしえ)を以て、古道を聞くを得ること六年なり。
春秋に富めりと雖も、その成るやすでに近し。いやしくも自ら奮(ふる)わずして、因循(いんじゅん)に日を消す。
すなわち、かの章を尋ね、句を摘(つ)むの徒に伍して止まらんか、恥(は)じざるべけんや。
ここに於て、書して以て自ら力(つと)む。またこれを申(の)べて曰く、ああ汝、これを選び、同じく天下に立ち、同じく此の民の為にす。なんじ庸俗に群(ぐん)せんか、そもそも古の賢聖豪傑に群せんか。
※原文は漢文。
頼山陽 癸丑歳 偶作 [述懐(立志詩 )]
十有三春秋 十有三の 春秋
逝者已如レ水 逝くものは すでに水のごとし
天地無二始終一 天地 始終なく
人生有二生死一 人生 生死あり
安得下類二故人一 いずくんぞ 古人に類して
千載列中青史上 千載 青史に 列するを得ん
【大意】
わが十三歳の年月は、水の流れのように、早くも過ぎ去ってしまった。天地には始めも終わりもないが、人生には限りがある。だから、生きているうちに、昔のえらい人たちに負けないような仕事をして、長く歴史に名を残したいものである。