2019・5・14
石村良子代表 「頼春水から辛島塩井宛て書状」人物紹介
頼春水(62歳)から辛島才蔵(53歳)への手紙 文化4年8月2日
頼春水 頼山陽の父、広島藩儒。
辛島才蔵は熊本藩儒。
柴野栗山は讃岐国の人。儒官。寛政の三博士の一人
高本紫溟(しめい)は肥後細川藩・御備頭組御留守居大頭組。
代々医を業とし、先祖は朝鮮王の庶族で李姓であった。
藪慎庵は肥後熊本藩士。
堀田正睦は老中首席
浅野重晟は広島藩主 広島藩中興の祖。
2019・5・12
石村良子代表 「頼春水から辛島塩井宛て書状」書き下し文
書き下し文
五月朔貴書家弟千齢持ち帰り
去る六月拝閲仕り候 先ず以って尊家
御安適賀奉り候 誠に千齢
儀右ェ門両人西遊推参仕り候状
審に御示し下され感心奉り候
其上両人面話にも くわしく
之を承り万々辱く存じられ候 数々御
厚遇成され候 小生御同様
思し召し 甚だ以って御深切の御取り扱い
小生においても欣戴仕り候 別して
尊藩諸老宿 残らず御面
接下され候由 高本先生は
中疾御接待拝謝に堪えず候
尚々御序 各位御謝
下さるべく候 右両人長崎其外
歴遊残らずかねがね存込候通り
遺念なく相済せ満悦至極
仕り候 小生も身猶其地を歴候
様に存じ 病後の一楽これに過ぎずと
存じ奉り候 是迄諸人径歴
候事に候 巨細共承伝候
事には御座候へ共 家弟覿面
領畧候事 欣然に堪えず候
此段御察し下さるべく候 扨又江戸
諸老の事 追々御聞き成され候
末弟万四郎義当四月
出立五月廿一日帰邑仕り候故
去年来の事 是亦如月
之を撃年候 柴翁は風後
栗山と称され候へ共 風気は見へ
申さず候由 去書ながら病気
申立候て但州城崎へ入湯
の願書のさしもつれ候へ共
相調い候由 今程は入京と聞へ
申し候 其他蝦夷の儀追々
相聞え申すべく候 虚実紛々には候え共
何分堀田庚仰付られ
右に付 大目付御目付其外共
夥敷其地へ罷越され候所此
節は異船も回帆と申す事
瑕鐘恐入候事共に存じ奉り候 小生は
甚以って損気色々老後の
念 彼地へ罷り越し雑兵に相
加わり候にも一揮仕りたく存じ奉り候 何分
夷狄の情渇すべからず候 追々
解耗有るべく御座候 先は千齢
儀右ェ門罷り越し 数々御取持下され候
御一謝申上たく早々かくのごとく御座候 千齢事
当地へ六月十三日午時帰
着五、六日罷り在り故郷へ帰
帆仕り候 其後も随分無事
安着罷り在り候段 申し候御地
今以って謝状も得上げ申さずやと
存じ奉り候 先は小生より御礼
等かくのごとく御座候 尚後便を期し候
頓首
八月二日認置く
追て此節土州の一書生
敝塾罷在り候 是も西遊相
希い罷り在り候 長崎のみ罷り越候申すべく
や尊邑へ歴邑候ハゝ又然るべく
御引立て下さるべく候 頼奉り候 是は
九月にも及び申すべく候
藪慎庵先生の御書の事
頼奉り候 真跡下され候には及び申さず候
石摺に成候様に摸写し
御越下され候へば水戸へ遣したく候 此義
御留念下さるべく候
扨又稿二萹請正候所 御称
譽下され汗顔に堪えず候 此節も
覆講輪講愛説同様の
もの稿本仕り候 未だ脱稿せず又々
稿正候様仕りたく候
安帋所御間適企羨に堪えず候 間適:静謐な心境を述べた言葉
千齢などへ同方は参らずと申し候 小生は
是のみ羨ましく存じ奉り候 尊什も候て 尊什:漢詩
御示下され候 小生宿痾未だ癒へず候へ共
先々斯様の御書返御出退仕り候
寡君在国候へば一入多事罷り在り候
是も舊より講会所
相替らず諸儒へ□られ候て多事に
御座候 近年は追々詩文解され
候故 当世の作共受過少々は
意味も御咀嚼候様に候 小生においても
相悦び申し候 万四郎は別て其返事
多務に罷り在り候 御同志えの御義故
是等にも及び申し候 外にも御沙汰は御
無用下さるべく候
辛島才蔵様 頼弥太郎
2019・5・11
石村良子代表
「頼春水から辛島塩井宛て書状」
以前、ご紹介した齊藤家巻物から、文化3年(1806)8月2日頼春水(62)が辛島塩井(53)に宛てた書状をご紹介する。おそらく公開は初めてだろう。頼家と辛島家の交際を知る貴重な内容である。原文、書き下し、解説と、今後順次掲載予定。
原文
去六月拝閲仕候 先以尊家
御安適奉賀候 誠ニ千齢
儀右ェ門両人 西遊推参仕候状
審ニ御示被下 奉感心候
其上両人面話ニもくハしく
承之万々辱被存候 数々御
厚遇被成候 小生御同様
思召 甚以御深切之御取扱ひ
於小生欣戴仕候 別而
尊藩諸老宿 不残御面
接被下候由 高本先生ハ
中疾御接待 不堪拝謝候
尚々御序 各位御謝
可被下候 右両人長崎其外
歴遊不残カ年々存込候通
無遺年相済 満悦至極
仕候 小生も身猶歴其地候
様ニ存 病後之一楽不過之
奉存候 是迄諸人径歴
候事ニ候 巨細共 承伝候
事ニハ御座候へ共 家弟覿面
領畧候事 不堪欣然候
此段御察可被下候 扨又江戸
諸老之事 追々御聞可成候
末弟万四郎義当四月
出立五月廿一日帰邑仕候故
去年来之事 是亦如月
撃年之候 柴翁ハ風後
栗山と被称候へ共 風気ハ見へ
不申候由 乍去書病気
申立候而 但州城崎へ入湯
之願書のさしもつれ候へ共
相調候由 今程ハ入京と聞へ
申候 其他蝦夷之儀追々
相聞可申候 虚実紛々ニハ候得共
何分堀田庚被仰付
右ニ付大目付御目付其外共
夥敷其地へ被罷越候所 此
節ハ異船も回帆と申事
少々及干戈候儀升平之
瑕鐘恐入候事共ニ奉存候 小生ハ
甚以損気色々老後之
念 彼地へ罷越雑兵ニ相
加候ニも一揮仕度奉存候 何分
夷狄之情不可渇候 追々
解耗可有御座候 先ハ千齢
儀右ェ門罷越数々御取持被下候
御一謝申上度 早々如此御座候 千齢事
当地へ六月十三日午時帰
着五、六日罷在故郷へ帰
帆仕候 其後も随分無事
安着罷在候段申候 御地
今以謝状も得上ケ不申哉と
奉存候 先ハ小生より御礼
等如此御座候 尚期後便候
頓首
八月二日認置
追而此節土州之一書生
敝塾罷在候 是も西遊相
希罷在候 長崎のミ罷越可申
哉尊邑へ歴邑候ハゝ又可然
御引立可被下候 奉頼候是ハ
九月ニも及可申候
藪慎庵先生之御書之事
奉頼候 真跡被下候ニハ及不申候
石摺ニ成候様ニ摸写し
御越被下候へハ水戸へ遣し度候 此義
御留念可被下候
扨又稿二萹請正候所御称
譽被下不堪汗顔候此節も
覆講輪講愛説同様之
もの稿本仕候未脱稿又々
稿正候様仕度候
安帋所御間適不堪企羨候
千齢なとへ同方ハ不参と申し候小生ハ
是のミ羨敷奉存候 尊汁も候て
御示被下候小生宿痾未癒候へ共
先々斯様之御書返御出退仕候
寡君在国候へハ一入多事罷在候 寡君:若殿様
是も依舊講会所不
相替諸儒へ被□候て多事ニ
御座候近年ハ追々被解詩文
候故当世之作共受過少々ハ
意味も御咀嚼候様ニ候於小生
相悦申候 万四郎ハ別而其返事
多務ニ罷在候 御同志江之御義故
是等ニも及申候 外二も御沙汰ハ御
無用可被下候
辛島才蔵様 頼弥太郎
32歳ころの真筆とのこと。
京都に居を移した直後であろうか。
この時期の書(若書き)は珍しいとのこと。箱書きは頼潔。70万円。
2019・4・27
「なんでも鑑定団」に頼山陽の書
テレビ東京「なんでも鑑定団」に頼山陽の書が出された。