2014・10・30 札幌の実家で
札幌市内にある実家にも足をのばす。
来年、米寿になる母は農家の娘で、畑仕事が大好きだ。春から秋にかけては庭に出て、草花や野菜を育てるのが日課。
お昼は出前をとってくれる。
隣に住んでいる妹の夫もいっしょに、わいわいといただく。
880円だそうだ。
書店も覗いてみる。
時代小説売り場には見覚えのあるポップが!
本分社の財津さん、清水さんが送ってくれたものだろう。
嬉しかったので、書店員さんに挨拶をする(笑)
あとは手に取ってくださる読者がいることを祈るのみ。
2014・10・29 「初心」にかえる旅
28日未明、札幌は例年通り、昨年より11日早く初雪が降った。
昨日までの晩秋の雰囲気(写真上)から一転、日中は冷たい雨が降っている。
雨の止み間を見計らい、大通り公園で一枚。
紹介するのを忘れたが、昨夜、ワインバーでいっしょに飲んだうちの一人は鈴木涼子さん。札幌在住の現代美術家で、拙著『家を建てたら』の装幀を担当してくださった方である。
今回の目的は北海道新聞主催「有島青少年文芸賞」の選考会に出席するためであった。
私自身、高校3年生の時、この賞の佳作に入り、作家を志すきっかけになった。
今は一審査員として、中高生の小説を読んでいる。
「初心」にかえる旅でもある。
2014・10・28 色づく街 札幌
札幌は紅葉が進み、落葉が始っている樹木もある。
空気もひんやりして、北国の感触がする。
街歩きの合間に札幌ラーメンをいただく。
「桑名」という店の熟成味噌ラーメン。972円
おいしかったが、ラーメンの値段を越えている。
旧道庁内は資料館になっている。無料。
樺太関係の資料室に行き、記録映画を観る。
樺太の戦争史。知らないことは多い。
夜は札幌在住の友人二人とワインバーへ。
私を含めて三人は「頼三樹三郎研究会 札幌支部」のメンバーということになっているが、この日は酒量……ではなく、狩猟民族の話で盛り上がる。
2014・10・17
『竈さらえ』発刊に寄せて
2007年に『頼山陽』を上梓した直後から、時代小説を集めた短篇集をつくりたいと思っていた。
そこで一念発起して、今まで20年間に書きためた拙作の推敲をはじめた。自分の納得いくまで推敲をしてみようと思ったのだ。多くはこれまで活字になった作品で、発表した時点で自分の手を離れたと思っていた。
ところが読み返していくと、アラが見える。よくもこんなものを世に送り出したものだと、時に苛立ちながら、推敲していくが、直しても、直しても切りがない。五里霧中どころか、十里霧中の心境で、なんども投げ出しかけた。
ようやく出口が見えはじめた今年の4月、あるテレビ局の玄関で偶然、財津正人さんに再会した。財津さんとは『頼山陽』を出した頃からの顔見知りだが、2年ほど疎遠になっていた。その間に財津さんが本分社という出版社を立ち上げていたのを思い出した。再会した翌日だったと思う。「本を出していただけませんか」とメールを送った。
それから短篇集は完成するまでの半年間、万事がスムースに進んだ。こんなにストレスのない日々を送れたのも珍しい。財津さんと本分社の清水麻央さんが障害になりそうなものを取り除いてくれたおかげだと後で気づいた。
今は本をつくることに東京も地方もない。財津さんのような専門家がいれば、大手出版社と比べて遜色のない本がつくれることは、『竈さらえ』が証明している。
弱点があるとすれば、宣伝力、流通力であろうか。こればかりは如何ともしがたいが、さほど悲観していない。よい本をつくれば、時代を越えて読み継がれていくに違いない。そう信じる思いがなければ、本などつくれない。
推敲を重ねていた頃、しきりと考えていたのは、自分が広島に来た意味であった。広島に来て33年。大袈裟にいえば、その答えが『竈さらえ』である。『竈さらえ』は私にとって一つの到達点になった。
2014年秋 清涼な朝に
見延典子
2014・10・14
新刊『竈さらえ』が刷り上がりました。
『竈さらえ』が届きました。
無事、安産。もっとも嬉しい瞬間です。
今は言葉が浮かばないので、落ち着いたら、ゆっくり書きます。
これから予約してくださった読者のためにサインを入れなければ。
ひょっとすると徹夜になるかもしれない(笑)
2014・9・19
中国放送「イマなま3」リニューアルにつき……
中国放送「イマなま3」が10月からリニューアルされることになり、
私の出演は9月18日(木)が最後となった。
奇しくもこの日、広島の大規模土砂災害の最後の行方不明者が見つかり、犠牲者は74名となった。
このニュースは番組でも報道された。
私が出ていた木曜日はゲストの出演が多かった。
ミュージシャンの石井竜也さん、吉川晃司さん、馬場英俊さん、谷村新司さん、俳優の中井貴一さん、タレントの乙武洋匡さん…
スタッフ、関係者の皆様、そして番組をご覧になってくださった皆様、
ありがとうございました。
2014・9・10
「昭和天皇実録」の公表に寄せて
ある会で、頼山陽の『日本政記』を輪読している。
『日本政記』は初代神武天皇から第107代後陽成天皇までの歴代天皇の事跡に、山陽の史観である論賛が加わったもので、山陽没後、弟子の関藤藤陰らによってまとめられた。
山陽が『日本政記』で問うたものの一つに「君子と臣下の在り方」がある。
山陽没後、王政復古となり、立憲君主制となり、第122代明治天皇は大元帥として初の近代戦争である日清戦争を戦った。
以後、10年ごとに戦争が起こった。
『昭和天皇実録』によれば、第124代昭和天皇は「陸軍の体質に関するご批判、ご不満」をぶつけ、また「勝算がないまま対米開戦を主張する海軍の作戦にも『捨て鉢の戦にほかならず危険」と危惧」(新聞報道)していたという。
敗戦から69年。「君子と臣下の在り方」は今も解決していないように思われる。
2014・9・5
〇俳優 中井貴一さんが…
俳優の中井貴一さんが9月20公開の映画「柘榴坂の仇討」のキャンペーンで広島に来られ、9月4日中国放送「イマなま」に出演された。
おだやかで、理知的で、全身からスターのオーラを放っていた。
あまりにもカッコいいので、番組中、ボーッとしていたら、終盤、西田さんから「何かお聞きしたいことは?」と促された。
中井さんは桜田門外の変で井伊直弼を暗殺した水戸藩藩士(俳優の阿倍寛さん)を13年間探し続け、仇討しようとする彦根藩の浪士役。
でも大老井伊直弼は安政の大獄で頼三樹を死罪にした人物。つまり私にとっての天敵(笑)。そこで…
「日本史でいえば、悪役ともいえる井伊直弼の仇討をする役は難しかったのでは。阿部さんの役のほうがよかったのではないですか」
と問うと、中井さんは、
「世の中に悪人といわれた人でも、調べてみると、ただの悪者ではないことがわかる。実は親分が偉いのではなく、子分が偉くする。社長が偉いのではなく、社員が偉くするもの。だから自分が演じる志村金吾が仕えた井伊直弼も、自分が演じることで、結果的に素敵に見えればいい」
という名回答。
歴史に関しても多くの知識をお持ちの方とお見受けした。
番組関係者の話によれば、中井さんは私の質問がよかったと言い残して帰られたそうだ。
ホント? 中井さんの記憶に残れるなんて嬉しい!!
〇2014・8・23
今日の広島
8月22日の広島市。
朝は雨、昼頃から曇り、夕刻になってわずかに陽射しが覗いた。
8月で晴れたのは3、4日。残りは曇りが雨。
22日午後7時現在。死者40名、行方不明52名。
避難勧告を出すタイミング、宅地開発の在り方など多くの問題点はあるが、今は行方不明者の救出を祈りたい。
〇2014・8・22
広島大規模土砂災害
8月19日、広島市内の拙宅周辺も、夜から雨が激しくなり、日付けをまたいだ20日深夜、恐怖を感じるような降り方になった。
だがここまでの被害が出ているとは……
20日朝、皆さんからのメールや電話で、逆に被害を教えられた。
あわててTVをつける。
ようやく被害が出ていることを知った。
21日午後、レジュラーで出ている中国放送「イマなま3チャンネル」(14時55分~16時43分)
番組はほぼ今回の災害に関する報道だった。
伊藤文アナの現場リポート。
被害は甚大のようだが、いまだ全容が見えない。
今夜(21日)も雨の予報…
これ以上被害が出ないことを祈る。