2024・7・3 久保寺辰彦さん
「鴨川市郷土資料館蔵の頼山陽の書軸は贋作の可能性が高い」
2024年6月29日(土)に行ったみんなの郷土史講座(鴨川市郷土史研究会主催)で紹介した鴨川市郷土資料館所蔵の頼山陽の書軸についてわかったことを投稿します。
左 鴨川市郷土資料館蔵 上 『山陽詩鈔』
「分明に昨夜青山を夢む。幾朶の峰容髻鬟を束ぬ。晨起童を呼びて急ぎ研を磨り。写し来れば已に堕す渺茫の間 山陽外史 自画山水に題す」
これは、天保四年(1833)に刊行された『山陽詩鈔』に文化13年末の詩として掲載されています。ただ、字句が若干異なり、「研」が「墨」、「已」が「半」になっています。
また、昭和2年10月に行われた入札会の作品をまとめた『神戸鹿峰翁遺愛品展観図録』から同様の詩を見ると「墨」はそのまま、「半」のみ「已」となっています。
神戸鹿峰翁遺愛品展観図録
次に私が所持している同詩の草稿と比べてみます。
分明に昨夜青山を夢む。幾朶の峰容□環の似し。晨起童を呼びて急ぎ墨を磨り。写し来れば已に堕す渺茫の間。 自画山水に題す
これは篠崎小竹へ正月六日(文化14年か)に出した書簡の一部です。漢詩の後に「御一笑、御斧正可被下候、懸御目候詩ハ、必御意見被仰下度、無左と奉存候」と小竹へ意見を求めています。
二句目がかなり違っていて「幾朶の峰容」までは同じですが次の字が「趣」なのか「翅」なのかわかりません。「似環」は「かんのごとし」か「わのごとし」かどちらでしょうか。
その後はこちらも「墨」は同じで「半」が「已」となっています。
最初に紹介した鴨川市郷土資料館の掛け軸だけ「墨」が「研」になっています。山陽の漢詩では、「墨を磨る」という使い方は他にも確認していますが、「研」や「硯」を磨るという表現は見たことがありません。
以前、この掛け軸の書について字は非常に似ているものの、印が決定的に違うので贋作の可能性が高いと書きました。これに加え字句の使用からも贋作の可能性が高くなりました。