久保寺辰彦さんから『吉田驛詩」の贋作疑惑のご投稿を続きましたが、
『吉田驛詩』は真筆であるという結論に達しました。
『吉田驛詩』贋作疑惑 2023・10・24
久保寺辰彦さん「『家』と『聲』と『無』の比較」
事務局から
まず事務局からの補足です。久保寺辰彦さんは安芸高田市の『吉田驛詩』の書は贋作疑惑があり、一方『神戸鹿峰翁遺愛品展観図録』に掲載の『詠吉田城』は真筆とお考えのようです。後者について、久保寺さんから写真の提供がありましたので、前者の写真とともに掲載してから、久保寺さんのご解説の続きを掲載します。
下/『神戸鹿峰翁遺愛品展観図録』に掲載されている『詠吉田城』
下/『頼山陽乃書風』(頼山陽記念文化財団)掲載の安芸高田市の『吉田驛詩』
『遺墨選』にも掲載されている。
久保寺辰彦さんのご解説の続き
前回『神戸鹿峰翁遺愛品展観図録』の「詠吉田城」の文字を掲載するのを忘れてしまったため、今回同じように「家」と「聲」を掲載します。
広島県立美術館の「吉田駅感毛利典廐事作」はHPから確認できる画像が不鮮明なため残念ながら比較できません。鹿峰翁の「詠吉田城」の「家」の字です。
やはり、1画目の点が3画目の横線と離れています。
なお、この「詠吉田城」の内容は完成稿よりも杉の木資料の草稿に近い字句となっています。また、一幅に書かれているため、双幅の「吉田驛詩」と比べると字粒が小さくなっています。
次に「聲」です。やはり従来の山陽の書き方と同様3画目は上より長く書かれています(左)。
次は「無」という字の比較です。「吉田驛詩」に3回出てきます(下)。
以下、「遺墨選」からの「無」です。
続いて「詠吉田城」の「無」です。同じような崩し方は2例しかありませんでした。
比較するとよくわかるのですが、「吉田驛詩」の「無」の1画目の書き方が他の「無」と違います。字形も違うように見えます。
「吉田驛詩」は全体的に見ると、山陽の書のように確かに見えます。しかし、個々の字を比較していくと山陽の書とは違うことが明らかです。今は、パソコンがありインターネットもあり、また「頼山陽遺墨選」のような山陽の書が見られる優れた図録があります。これらを利用して比較することは近年まで出来なかったことです。
個々の字の違いについてはまだ続きます。
『吉田驛詩』贋作疑惑
2023・10・22 久保寺辰彦さん「『家』と『聲』の比較」
安芸高田市の『吉田驛詩』の書が頼山陽ではないと考える私の理由を述べたいと思います。
一見、山陽晩年の書のように見え、勢いや迫力がありつつも、全体としもまとまりがあるように見えます。しかし個々に見ていくと山陽の書とは思えない字が多々見られます。以下具体的に見ていきます。
文字比較のため使用したのは『吉田驛詩』が平成22年頼山陽記念文化財団発行の図録「頼山陽乃書風」からです。その文字と比較するため令和3年同文化財団発行の図録「頼山陽遺墨選」を使用しました。ただ、『吉田驛詩』が文政12年以降に書かれているため、「頼山陽遺墨選」からも文政12年以降、または同時代以降と考えられる書に限定しました。また、字の大きさも考慮し、小さすぎる字は対象から外しています。
まず初めに「家」という字を比較します。『吉田驛詩』に3回でてきます。
以前にも書きましたが、1画目が3画目の横線より下に突き抜けているのが目立ちます。山陽のウ冠の1画目は3画目の横線と離れていることが多く、接しているのも稀です。突き抜けている文字は見たことがありません。以下「遺墨選」からの「家」です。
次に「聲」の字を比較します。『吉田驛詩』に出てくる「聲」の3画目の横線は上より短いのですが、この崩し方で同形の「聲」は私の知る限りありません。短くなるのはもっと崩れた草書に限ります。
2023・10・21
久保寺辰彦さん
『吉田驛詩』贋作疑惑について
頼山陽晩年の傑作と言われる安芸高田市の『吉田驛詩』贋作疑惑について説明します。
初めに『吉田驛詩』の創作過程について『頼山陽 史跡詩碑めぐり』を参考にふりかえります。
1829年(文政12年2月)50歳の山陽は父、春水の13回忌法要のため帰省します。帰省途中の2月17日、毛利元就の墓所を参拝したことがこの詩が生まれるきっかけとなります。杉の木資料の草稿をみると、墓参当日の2月17日、駕籠で移動中に作ったことがわかります。完成稿は、1841年(天保12年)の『山陽遺稿詩』に掲載されています。
書の作品としては安芸高田市の『吉田驛詩』の他に、私が知る限りでは昭和2年の『神戸鹿峰翁遺愛品展観図録』に掲載されている『詠吉田城』と広島県立美術館が所蔵する『吉田駅感毛利典廐事作』です。
法帖としては安芸高田市の『吉田驛詩』を元に1848年(嘉永元年)に河津祐度が刻字した『頼山陽先生吉田驛詩帖』があります。
次回から、具体的に贋作だと考える理由について説明します。
2023・10・21
久保寺辰彦さん「ゝが3箇所」
→見延典子
見延先生へ
「篤老説」の「ゝ」全く気づきませんでした。
26歳の「会照蓮精舎序」の「寺ゝ」、31歳の「上菅茶山先生書」の「安ゝ」です。
いかに自分が見ているようで見ていないか気づかされました。
指摘されて、改めて『頼山陽乃書風』を見直しました。すると「ゝ」が3か所ありました。
まず山陽26歳の作「送赤松君彦先言」の「舟ゝ」
次回は『吉田驛詩』について投稿しますが、また誤り等気づいた点を指摘していただけると助かります。
久保寺
「篤老説」は『頼山陽遺墨選』『頼山陽乃書風』のいずれにも掲載されています。
「乎」の字の、中心線が右に流れるところなどもご確認ください。
尚、私は上手いか下手かでしか書をみる基準はございません。
貴重なご教示をいただき、厚く御礼申し上げます。
見延典子
2023・10・20
見延典子「ゝ」→久保寺辰彦さん
18日、久保寺さんが送ってくださった3作のうち「登々行菴記」が気になり、調べておりましたら、同じく山陽29歳の作「篤老説」の中に「ゝ」を使っている箇所を見つけましたので、お知らせします。
見延先生が比較的わかりやすい贋作といわれる見分けのポイントなどをご教示いただけると助かります。解説をよろしくお願い致します。
久保寺
2023・10・19
久保寺辰彦さん「真贋、見分け方のポイントは?」 → 見延典子
見延先生へ
山陽の文化時代の書と文政時代の書は別人が書いているかのように変化しています。
文政時代の山陽の書は馴染みがあって私でも比較的わかるのですが、今回のように文化時代に書かれたものは正直よくわかりません。
2023・10・18
久保寺辰彦さん「ゝの使用例3作」 ⇔ 見延典子
見延様
紙の修復、本当にプロの表具屋だったら全体1枚で裏打ちするでしょうね。なんで小刻みな補修をしたのか私もわかりません。
ところで、「ゝ」の繰り返し符号(踊り字)の使用例を送ります。
これは木崎愛吉が昭和16年に印刷発行した『頼山陽先生真蹟百選』からです。乾と坤の2冊あるうちの乾の方です。山陽の年齢順に作品が掲載されているので書風の移り変わりがよくわかります。
送った画像は山陽27歳の「篠崎三島七十壽序」、29歳の「登々行菴記」、33歳の「美人倦繍詞」です。黄色の部分がひらがなの繰り返し符号「ゝ」を漢字の繰り返しで使っています。
久保寺
久保寺様
根拠は省略しますが、お送り下さった3作とも、比較的わかりやすい贋作です。
見延
2023・10・17③
久保寺辰彦さん「裏から透かしとった映像」
⇔ 見延典子「なぜ小刻みな補修を?」
見延先生へ
HPでの返信ありがとうございます。
「東山春興五首」確かに『頼山陽全書』の「詩集」巻九にありますね。確認不足でした。教えて頂きありがとうございます。
軸の紙についてですが、実物通りになかなか映りませんが、裏から日に透かして撮った画像を送ります。御覧の通り、かなり補修しているあとが確認できます。表からは見えないボロボロさ加減がわかるかと思います。
折れ線についても、印の部分だけではなく他の箇所も横折れがあります。
朱印の赤インク疑惑ですが、赤インクを使用した印を見たことがないので
正直わかりません。私には普通の朱印のように見えます。
繰り返し符号についてもご指摘ありがとうございます。古文書教室では習っていたはずなのに気にしていませんでした。そして、頼山陽がそれほど厳密に使い分けているとは思えず、すぐに使用例が見つかるだろうと思っていました。
漢字の繰り返しで「ゝ」を使っているのは皆無に近いですね。手紙文ならさすがに使うだろうと思って「頼山陽先生手簡」1~5集を調べてみましたが、使用例112か所あるものの漢字で使われていたのはわずかに数例、しかも文末の「早ゝ」のみ。これは私の軸も偽物か・・・と諦めていた時、やっと頼山陽の作品の中での使用例を見つけました。
次回、画像とともに送ります。
久保寺
久保寺さんへ
久保寺さんがご自分の御軸に納得されているのに、ついお言葉にあまえて「忖度なく」書いてしまい、反省しております。
そういうわけで、そろそろ終わりにしたいのですが(笑)、つぎつぎネタをふってくださるので、のらなわけにはまいりません。
私は、書軸を裏から透かしたものを初めてみました。これって、表具から外したりせず、表具ごと裏から透かしてみたということでしょうか? とすれば、ずいぶん薄い表具を使っているのですね。
大きな疑問は、久保寺さんがおっしゃるようにボロボロな状態であれば、なぜこのように小刻みな補修をしたのかということです。私が表具師なら、一枚の紙で「裏打ち」します。そのほうが均一に仕上がり、折り目も伸びて、一石二鳥だったでしょう。(上辺の歪みも解消します)
ここまで書いてナンですが、思うまま書いておりますこと、ご寛恕くださいますよう、よろしくお願い申し上げます。
見延