来年2025年(令和7)7月は頼三樹三郎生誕200年にあたります。
この物語は、三樹三郎が青春を過ごした蝦夷地での日々から始まります。
連載小説
はるかなる蝦夷地
―頼三樹三郎、齊藤佐治馬、松浦武四郎の幕末
見延典子
主な登場人物
頼三樹三郎(22才)は頼山陽の3男
齊藤佐治馬は江差の町年寄(27才)
松浦武四郎(29才)は後に「北海道」の名付け親となる
齊藤佐佐馬五郎(14才)は佐治馬の弟
齊藤佐八郎は佐治馬、佐馬五郎の父で、隠居している。
1846(弘化3年)9月末、蝦夷地に渡った頼三樹三郎は、江差の商家で、町年寄をつとめる齊藤家の食客となっている。
2024・11・26
はるかなる蝦夷地 第9回
三樹三郎は佐馬五郎にも漢詩の手ほどきをはじめた。三樹三郎が最初に伝えたのは、父山陽が十三歳のときに詠んだ漢詩である。
十有三春秋 十有三春秋
逝者已如水 逝く者は已に水の如し
天地無始終 天地始終無く
人生有生死 人生生死有り
安得類古人 安くにか古人に類して
(意味 生まれてから十三回の春と秋を過ごしてきた。水の流れと同じように時の流れは元へは戻
らない。天地には始めも終わりもないが、人間は生まれたら必ず死ぬ時がくる、なんとしてでも昔の
偉人のように、千年後の歴史に名をつらねたいものだ)
三樹三郎が朗詠を終えると、佐馬五郎は目を丸くして「三樹三郎先生のご尊父は、誠にこの詩を十三歳のときに詠まれたのですか」
「そうや。亡父は元服を前におのれの夢を詠んだ。思えば、亡父は少年のころに抱いた志を胸に人生を生きられたのや」
「私は十四歳になりますが、まだ将来の夢が定まっておりません」
「心配いらぬ。わしも将来など考えず、過ごしてきた。大半の少年はそのようなもので、亡父は特別であったのだろう」
「少し安心したしました」
「ただ、わしは八歳で父を失った。父のいない暮らしは、むなしく、味気ないものやった。それに比べ、佐馬五郎殿はご尊父も、ご祖父もご健在だ。今後なにかにつけてご助言してくださるやろう。心強い限りでないか」
三樹三郎は漢詩の作り方についても教えた。絶句、律詩、古詩の違い、韻の踏み方、起承転結については、頼山陽が作ったとされる俗謡を引用した。
起句 京の五条の糸屋の娘
承句 姉は十八妹は十五
転句 諸国大名は弓矢で殺す
結句 糸屋の娘は目で殺す
「たかが俗謡と笑うではない。転句は見事で、転句と結句で韻を踏んでいるところもよい。もっとも必ずしもこのように基本通りに詠めるとは限らない。目下、わしもご祖父の願いで、書にすべき漢詩を詠んでいるところなのだが、思うような転句が浮かばなくて往生しておる」
「どのような漢詩でございますか」
「江差らしい風景をというご希望で、お庭を拝見しにいった。しかし庭よりそこから見た篠山が雪をいただく様子に心を引かれて、起句の篠山雪を帯びて洋空に立つ、掩映す暁波藍碧の中までは詠めたが、転句のところで迷っている」
篠山というのは「笹山」とも柿、江差の東にある標高六一一メートルの山である。古くから住民の信仰に対象となり、豊漁豊作祈願のお参りが行われている。
「転句では、視点を変えなければならないのですね」と佐馬五郎がいった。
「飲みこみがはやいな。転句ではがらりとした場面転換が必要や。しかも結句では、再び起句と承句に戻って行く流れにしなければならない」
三樹三郎が呻吟しつつ、後に詠んだ句は、転句、結句も含めて次のようなものになった。
篠山帯雪立洋空 篠山雪を帯びて洋空に立つ
掩映暁波藍碧中 掩映す暁波藍碧の中
江刺江頭幾千戸 江刺江頭幾千の戸
無窓不納白玲瓏 窓として白玲瓏を納めざるなし
(意味 雪を戴く篠山が広い空に聳えており、その姿は暁の濃い青緑色の海に映っている。江差の海辺には多くの家が建ち並び、窓から白く光り輝く景色が眺められない家はない。
実は山陽が九州遊歴をした際、桜島で詠んだ中に次の漢詩がある。
桜島突出海湾間 桜島海湾の間に突出す
一碧瑠璃撃髻鬟 一碧の瑠璃髻鬟(けいかん)を撃つ
鹿児城中家幾万 鹿児城中家の幾万
無窓不納紫孱顔 窓として紫孱顔(さんがん)を納めるなし
(意味 桜島は海湾に突き出ていて、波のしぶきが鬟を撃つ。鹿児島城下には何万という家が建ち並び、窓からもそそりたつ桜島の紫の岩壁が見えない家はない)
三樹三郎は、父山陽が旅人として九州遊歴をした姿と己の姿を重ねあわせていた。南方の地と北方の地との違いこそあるが、異郷に立つことで父を感じていたのである。
さらにいえば、三樹三郎の祖父頼春水には、若き日に松島を訪れて詠んだ漢詩がある。
平湾無数点青螺 平湾無数青螺を点ず
月明宛似龍燈出 月明か宛ても似たり龍燈の出るに
分付光輝夜色多 光輝分付して夜色多し
(意味 一面瑠璃色の海は、静かで波立っていない。平らな湾には無数の島々が青い巻貝のように点在している。月明かりはあたかも竜宮城を照らすように分散して、夜の雰囲気はすばらしい。
三樹三郎は漢詩を通して、祖父、父、自分の三代がつながり合っていることを佐馬五郎に教えようとしたのである。